2024.4.20
スマホ向け:記事カテゴリ一覧を跳ばす
©Rådet for Sikker Trafik / Hjelm har alle dage været en god idé
コロナ禍の2021年、私はVimeoを見ていて一本の面白い映像作品に出会った。文字の綴りからデンマークの作品であろうと察したが、字幕はない。だが、内容は一目でわかった――そのオチの秀逸さによって。
https://vimeo.com/559886560(YouTubeで見る場合はこちら)後日になって英語字幕の掲載バージョンを見てセリフの詳細がわかった。内容はこうだ。
893年、デンマーク――。出陣へ向けて興奮状態にある戦士たち。角笛が吹き鳴らされ、スヴェン王は鋭い眼差しを外へ向けて居室を後にする。
戦士たちは剣の鍔を自らの左胸に打ち付け、興奮とともに自らの勇敢さを王に示している。王は拳を挙げ、一同を制した。
沈黙。馬のいななき。朝靄を背に、王は高らかに宣誓した。
「我らは船を漕ぎ出す! イングランドへ!」
王の忠実なる側近のイャルマールは神妙な面持ちだ。だが彼も自らの興奮を鎮めきれずにいた。王のその言葉、待ちわびたその宣言によってイャルマールもまた歓声を挙げずにはいられなかった。土手でいきりたつ兵士たちも武具を打ち鳴らして王の言葉に応える。
「父上、お待ちください! お待ちください!」と息を切らせて一人の少年が駆け込んできた。成年にはまだほど遠い王子だ。スヴェン王は何事か、この場の盛り上がりを堰き止めおってと言わんばかりの怪訝な表情をする。
王子は乗馬した王の足元へ、宝物を捧げんばかりの恭しさで鈍く銀色に光る兜を差し出した。だが王は一瞥し、無視した。
「船へ!」
その一言に、土手の兵士たちは再び歓声を挙げる。イャルマールはその王の表情と王子の差し出した兜を交互に見た。家臣として、彼は責任ある一言を言わずにはいられなかった。
「スヴェン王よ、兜を被るべきではないですか?」
イャルマール自身も鼻先まで保護する棒の付いた鉄兜をかぶっている。その鼻当てには神々の保護を願う彫刻が施されており、光を浴びれば金色に輝く装飾としての機能も持つ。
だが王は言い放った。「いやだ。兜は嫌いだ。頭がかゆくなる」。その一言で家臣は動揺して目を泳がせた。「えっ、ですが、ええっと――誰もあなたが注意深くないなんて言っておりません……」。王子の捧げていた兜が王の爪先で蹴落とされると、兜は地面に落ちて鈍い音を立てた。
王は馬上から忠臣を諭すように言う。「イャルマール、俺は注意深く馬に乗っている。兜をかぶるなんて、イングランドに到着してからでいいだろ?」
「いや、まあそうですけど、でも、いまからかぶった方が⋯⋯」
愛想笑いを微かに浮かべてヤイマールは言うしかなかった。王は鼻で笑った。
土手の兵士たちが異変に察して叫んだ。
「スヴェン王よ!」
王は応える。
「なんだ!」
「どうかしたか?」と兵士の大声が靄の中から響く。すかさずイャルマールが声を投げた。
「スヴェン王が兜をかぶりたくないらしい! 頭がかゆくなるんだと!」
王は呆れたように首を振る。だが兵士からの返事は「よく聞こえないぞ〜!」というものだった。王は自ら語るしかない。「俺は兜をかぶるようなヤツじゃないんだ!」。興奮した馬も鼻をぶるるると鳴らす。
イャルマールは食い下がらなかった。
「いや、兜はいい考えですよ」
その一言がスヴェン王の感情に着火した。王はすかさず身振りで示す。「兜で頭がおかしくなる!」。
王の怒声が森にこだますなか、居室の扉が軋みを立てて開いた。王はその足音に聞き覚えがあった。王妃が乳児の王女を抱えて出てきたのだ。単に出てきたのではない。王妃は強い眼差しで王に迫った。
「スヴェン」
王は「ああ」と上の空で返事をした。
王妃は畳み掛ける。「あなたは何でも奪える。何だって獲って来る。でも兜はかぶらなきゃだめよ」。蹴り落とされた兜を王子が拾った。王妃はその兜を王子から受け取ると、娘を右腕に抱えたまま、左手で王へ兜を差し出した。
「ああ」と王は眉を寄せた。もはや兜を受け取るしかない。ためらうことはできない。王は抱えた兜で自らの頭蓋を覆った。
老兵が嗤った。拒否した兜をかぶったからか、それともカカアに言われてしかたなく従った男を嘲ったのか、それともそ容姿の変化を面白がったのか。
王は兜の庇を突き抜けて、嗤った老兵を睨んだ。老兵は、ばつが悪そうに視線を逸らした。ここぞとばかりにイャルマールは言った。「私はイギリス人たちも兜をかぶってる方に賭けますよ」。
王は軽くため息をした。威厳を正さねばならない。自らへの仕切り直しだ。「船へ!」
兵士たちは「おお!」と歓声を上げた。武勇を示す興奮に満ちた鬨の声だ。王は馬の歩を進めた。誰よりも先に進まねばならぬ。その決意を示すのは全身で先導の意思を示すほかない。
朗らかな表情で王子は高い声を出した。「ご武運を!」
だが王は、都の出入り口にあたる仕切りの門――それは扉ではなく呪術的な意味での結界に相当する鳥居のような構造物だ――の横木に頭をぶつけたのだった。兜が頭を守った金属音が周囲にこだました。
すかさず兵士たちの声。「大丈夫(でぇじょぉぶ)か〜?」
〜〜 ヘルメットの常時着用はいい考えです(Hjelm har alle dage været en god idé)
デンマーク交通安全協議会(Rådet for Sikker Trafik) 〜〜
ノルウェーのイェルムンドゥで出土したヴァイキングの兜。
Gjermundbu helmet
このオチにある通り、この映像作品はデンマークの交通安全協会が制作した啓蒙活動のビデオだ。
お分かりの通り、「自転車に乗る(Ride=乗馬も同じ単語)ときは、安全のためにヘルメットを被りましょう」という内容にすぎない。
だが近年でいえばゲーム・オブ・スローンズがヒットし、ロード・オブ・ザ・リングのような大作が市民権を得て知られてきたこの20年間は、ヨーロッパ人にとっての「時代劇」(歴史劇)は制作クオリティが一段と向上した時期でもあった。この映像作品も、その延長線上にあると見ていい。
だがそうした映像クオリティに、「自転車に乗るときはヘルメットを着用しよう」という社会的テーマ(啓蒙)を直接結びつけて風刺とユーモアに満ちた作品を作ったところは天晴れというほかない。
日本でいえば、さしずめ公益社団法人ACジャパンが制作するような、社会的意義あるいは啓蒙的価値のある広告キャンペーンの映像といえるだろう。
自転車の安全な乗り方の指導や交通安全を啓蒙する団体は、ぜひ本作の脚本権利を買って、日本版を作ってみてはどうかと思う。
――ときは戦国、ひとりの武将が出陣しようとしている――
武将「いざ出陣じゃぁ〜」
側近「殿! 兜を!」
武将「要らぬ! 頭がかゆくなるのじゃ!」
奥方様が登場。
奥方様「何を言うか! 兜もかぶらず、どうやって勝ち戦のあとに緒を締めるのじゃ!」
武将「それもそうじゃ。しかたないのぉ〜。(兜をかぶる)いざ出陣!」(本丸を出るときに、門で頭をぶつけるが、殿様は平気な表情)」
字幕:ヘルメットを被りましょう
――というようなものだ。
日本では、しばしば広告の映像作品が物議をよぶ。だがこういった作品ならば思想的あるいはコンプライアンス的に炎上することもなく、ユーモアとして受け入れられるのではないかと思う。盗作はあってはならないので、脚本権利をきちんと買取り、翻案して日本版を作るのが望ましいだろう。
さて、ここまで書いてから、本作映像の冒頭にある「デンマーク 893年」という記述と登場するスヴェンという人名が気になった。そこで、デンマークおよび北欧とイギリス(ブリテン島)の中世史に関する資料を確認してみた。
ローマ帝国がブリテン島(ブリタニア)から撤退した5世紀以降、デンマークやドイツ北部のゲルマン民族のアングル人やジュート人、サクソン人などが北海を越えてブリテン島に渡って行ったことが知られている。世界史上はヴァイキングの活動も活発化し、デーン人やノース人も北海を舞台として交易や侵略を行い、ブリテン島やフランク王国と関係を持ち続けていた。
年代記的な記録によると、893年にブリテン島および北海周辺地域で起こった紛争として、次のようなことがわかっている。
893年春、アングロサクソン王のアルフレッド大王(849年頃〜899年)の息子エドワード王子(874年頃-924、後のウェセックス王、アングロサクソン王)がファーンハム(ファーナム)でデンマークのヴァイキング襲撃隊を破る。東(イースト)アングリア(イングランド東部)のデーン人がコーンウォール海岸を航海し、エクセターを包囲する。
同年の春、ハスティン(9世紀のヴァイキングの酋長。デーン人とされる)率いるヴァイキング軍がベンフリート(エセックス州)の要塞化された野営地に出現する。軍勢の襲撃中にデンマーク陣営はサクソン軍に占領され、ハスティンはシューベリーへの撤退を余儀なくされる。
同年の夏、バッティントンの戦いが起こる。エセルレッド卿率いるウェールズとメルシャンの連合軍がバッティングトン(ウェールズ州)のヴァイキングの野営地を包囲する。デーン人は大損害を受けながらも脱出し、一族を連れて東アングリアに逃れる。
同年の秋、ハスティン率いるデンマークのヴァイキングが東アングリアから進軍し、チェスターを占領する。アルフレッド大王は物資の補給路を破壊されてウェールズへの撤退を余儀なくされる。
今回の映像作品では893年と具体的な年が書かれているから、それを手掛かりに調べていくと、このように作品の「時代設定」が見えてきた。ブリテン島を舞台としてヴァイキングの襲撃者とアングロサクソン人の王国は一進一退の攻防を続けてきたようである。
映像の主人公、頭がかゆくなるからと兜が嫌いなスヴェンは何者か。映像の中では一族のリーダーのような振る舞いをしているが、具体的な描写は見られない。ひょっとすると服装(意匠など)の中に、筆者の気づかない階級を示す具体的なものがあるのかもしれない。
父王のハラール青歯王の後継としてイングランド征服を誓う双叉髭王スヴェン1世
(ローランス・フレーリク画/デンマーク国立歴史博物館(フレデリクスボー城)蔵)
クヌート王子に別れを告げるスヴェン王(同上)
筆者は内容書き起こしにおいて「王」としたが、彼が王である確証はない。しかしデンマーク史において、スヴェンという名を持つ王は実在する。中世デンマーク王のスヴェン1世である。この王は「Tveskæg(ふたまた(フォーク状)のヒゲ:双叉髭)」のあだ名を持ち、長く立派な口髭(鼻の下と唇の間にたくわえるヒゲ)を持っていたとされる。とはいえ様々な図柄を見ると、口髭だけでなく、顎髭も相当に立派だったようだ。
スヴェン1世王の父は「青歯王」ハーラル1世である。そう、電子機器の通信規格Bluetoothの由来となった「青い歯」の王、その息子がスヴェン1世だ。ハーラル1世は、交渉によってデンマークとノルウェーの平和的統一に成功した功績を持つ。文化の橋渡しを実現した故事に習い、複数の機器を接続する規格の名称として採用されたのがBluetoohである。命名者はスウェーデンのエリクソン社の技術者であり、Bluetoothのロゴマークもルーン文字を使ってデザインされている。王の名前「ハーラル・ブロタン」の頭文字から取ったH (ᚼ) とB (ᛒ) だ。ちなみに歯が青かったわけではないようだが、このあだ名の正確な意味は今日ではわかっていない。もし同様の規格が日本で誕生していたら、同じ基準で考えると「江戸城無血開城に成功した功績」からKaishu(勝海舟)が通信規格名として提案されていたかもしれない。
ハーラル王の時代は北欧にもキリスト教が続々と入ってきた時期でもあった。オーディンなどの神々とキリスト教の神と「どちらが強いか」がハーラル王の宮廷で議論されたという。キリスト教受容派の家臣の採った「信仰心によって念じれば、熱した鉄を持っても火傷をしない」という方法で存在証明が実行され、驚いたハーラル王は洗礼を受けることを決心したとされる。日本史でいえば仏教伝来の6世紀の大和朝廷での出来事が彷彿とされる。
だが古い年代記によると、息子のスヴェンとハーラル王は不仲であり、スヴェンは反乱を起こして父王を追放、その途中の戦闘でハーラルは死亡したとある。デンマークとノルウェーの無血統一を実現し、キリスト教への改宗を実行した王も、ついには息子に王座を奪われたのは皮肉というほかない。
するとスヴェンとその息子の関係はどうだろう。スヴェン王の子、クヌート王子はスカンディナビアからブリテン島にかけて北海沿岸での勢力の確立に成功する。武力と融和、いわばアメとムチを使いながら大規模国家を建設し、イングランド王となったクヌートだが、その息子たちは相次いで短期間の間に死亡する。北海に一大勢力を築いたクヌート王の遺産はふたたび周辺へと散っていくことになる。
さて、ここまでくると、デンマーク交通安全協会の短編映像に出てくるスヴェンはスヴェン1世王、兜を捧げ持つ少年はスヴェンの次男でのちのクヌート王、スヴェンを説得する奥方は王妃グンヒルと誰もが思いたくなる。
しかしそうは問屋が卸さない。年代が矛盾するのだ。
映像の冒頭には「デンマーク 893年」と明記される。だがデンマーク王スヴェン1世の生年は986年。デンマーク王朝の始祖とされるゴーム老王(没年958年頃)の時代よりも半世紀以上も昔のことに設定されている。中世デンマークに独自の暦があって、その設定を取り入れたのだろうか? たしかに「ルーン暦」など独自のカレンダーを中世以降の北欧人は持っていた。だからといって100年ほど時代がずれている暦を筆者は知らない。
とはいえ、9世紀終わり頃のブリテン島にヴァイキングがたびたび襲来し、交易していたことは間違いなく、映像と時期について矛盾はない。
となると結論は一つである。映像に出てくるスヴェンは、のちのスヴェン1世“双叉髭王”ではなく、単なる同名の人物であり、ヴァイキングの一派の小さな集団の首領の1人ということだ。
西方ゲルマン民族が入り乱れて暮らしていたユトランド半島(「ジュート人の地」の意)で北方系ゲルマン民族の一派のデーン人に圧迫されたアングル人は北海を渡ってブリトン人を圧倒した。ブリトン人の名は島名として残ったが、「アングル人の地」が転訛してできた「イングランド」でも、デーン人ヴァイキングに征服されていく。
そのような時代劇を援用して「ヘルメットを着用しましょう」という啓蒙キャンペーンを展開したデンマーク交通安全協会。じつにセンスとユーモアがある。
ちなみに家来の名前「イャルマール(Hjalmal)」は、デンマーク語でヘルメットを表す「Hjelm(イェルム)」と似ている。そこもミソであろう。
〈おわり〉
参考文献
『オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ サクソン/ヴァイキング/ノルマン ブリテンへの来寇者たち』テレンス・ワイズ著 新紀元社 2000年
『世界の教科書シリーズ デンマークの歴史教科書【古代から現代の国際社会まで】――デンマーク中学校歴史教科書』 イェンス・オーイェ・ポールセン著 明石書店 2013年
『日経BPムック ナショナルジオグラフィック別冊 バイキング 世界をかき乱した海の覇者』ヘザー・プリングル著 日経ナショナル ジオグラフィック社 2020年
『新装版 図説ヨーロッパの王朝』加藤雅彦著 河出書房新社 2005年
『ヨーロッパの中世③ 辺境のダイナミズム』小澤実・薩摩秀登・林邦夫著 岩波書店 2009年
『新版世界各国史11 イギリス史』北川稔著 山川出版社 1998年
『《世界歴史大系》イギリス史1 先史~中世』青山吉信編 飯島啓二・永井一郎・城戸毅著 山川出版社 1991年