[初稿] 2020.6.20
[加筆] 2021.1.15
[改稿] 2022.4.10
『Gorogoa』は、ジェイソン・ロバーツ氏(Jason Roberts)が開発・制作したパズルゲーム作品である。2012年にプロトタイプを発表後、5年の歳月をかけて2017年に正式リリースされた。2021年1月現在でもApp Storeの「パズルゲームTop10」にランキングし続ける傑作である。
『Gorogoa』をプレイする時、プレイヤーは最初に手書きの線と水彩風のペインティングをベースとした美麗なグラフィックや巧緻なパズルの設計に魅了される。だが、2回め、3回めとプレイを重ねるうちに、その関心は作品の中の「謎」へと移っていくだろう。この小考察では、『Gorogoa』の物語構造を分解・整理しながら、言語的明示を意図的に回避している本作の〝謎と仕掛け〟の言語化を試みる。その過程を経て、本作の中を流れる「時間」を解体し、描かれた寓意と象徴について考察したい。
要約と仮説
『Gorogoa』とは?
├『Gorogoa』の特徴は?
└ この記事の内容は?
『Gorogoa』の作中の登場人物と時間軸
├ Gorogoaの名前の由来
└ 舞台となる時代
『Gorogoa』の舞台はどこか
『Gorogoa』の登場人物と主人公の生涯
時間を超えて「重ね合わせ」られた人生
五色の果実
└ 5つの果実が象徴するもの
聖獣ゴロゴア
├「何もしない」存在
├ 変化と流転の象徴
└「ウアジャトの目」――左目の意味
2つの寓意――時間、真理を目指す人間の精神
├時間と記憶
├ゴロゴアの「黒目」
└タロットカードとゴロゴア
主人公の生涯は?
├4つの時代
├青年期
├壮年期
└老年期
参照ページ
Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)
公式サイトより
『Gorogoa(ゴロゴア)』の開発者はジェイソン・ロバーツ(Jason Roberts)氏。パブリッシャー(販売者)はアナプルナ・インタラクティブ(Annapurna Interactive)。ジャンルはパズルゲーム。発売日は2017年12月14日。最初のリリースではWindows、Nintendo Switch、iOS向けのバージョンに発売され、その後2018年3月にXBOX ONEのバージョンが登場した。AndroidとKindle Fire向けはさらにその後リリースされた。私はiOS向けのバージョンをプレイしている。本稿も断りがない場合はiOS版である。(画像も同じ)
Gorogoa, Rating: 4+, Subtitle:数々の賞を受賞したゲーム, Annapurna Interactive, 「ファミリー」内2位, 4.8、699件の評価, ¥610(iOS版) Copyright: 2017 Buried Signal, LLC. Published by Annapurna Interactive under exclusive license. All rights reserved.
『Gorogoa』は2×2のマス(グリッド)の画面に配置されるパネルを動かして描かれた絵をつなげたり、絵の中をズームイン・ズームアウトして移動しながらストーリーを進めていくパズル作品である。本作に言語(セリフ)を用いたシーンは登場せず、すべてビジュアル(手書きのイラストレーション)と音楽・効果音でのみ進行する。
本記事は『Gorogoa』の物語構造を整理、分析し、そこから意味を解釈していくことが目的である。その目的のために、では2つのテーマで『Gorogoa』を考察する。第一に「作中での時間はどのように経過しているのか?」。第二に「本作の物語が暗示するものは何か?」である。
第一の「作中での時間はどのように経過しているのか?」は、ゲーム内のイラストレーションを時系列に並べ直すアプローチを取って分析する。『Gorogoa』は主人公がリアルタイムに体験していることと、主人公が老人になってからの回想が同時並行的に進行していく構成となっている。『Gorogoa』のストーリーを理解するには、まず主人公がどのような体験をして人生を歩んだのか、時系列で整理し直すことが不可欠だ。
第二の「本作の物語が暗示するものは何か?」は、主人公がその人生を通じて得た経験からプレヤーが学べるものとして、どのように一般化できるかを検討する。
本作には主人公と呼べる少年のほか、年代の違う複数の男性が主な人物として登場するほか、正体不明のモンスターが「もう一人の主人公」として顔を見せる。作者のロバーツ氏はゲーム開発に関する講演やメディア取材記事で『Gorogoa』のゲームシステムやクリエイティブの開発秘話の観点で複数言葉を残しているが、本作の物語や登場人物たちの詳細についてはほとんど詳らかにしていない。
開発者(作者)のジェイソン・ロバーツは2012年当時、Eurogamer誌の取材に対して、Gorogoaは彼が子供の頃に考えた空想上のモンスターの名前だと語っている[1]。Gorogoaの意味は、雷鳴や地面の下から轟いてくるような感覚を複合的に表現したオノマトペ(擬態語・擬声語)である。Gorogoaという言葉は、少年時代のロバーツ氏に太古の昔の力強さを想起させるものであった[2]。ロバーツ氏がマサチューセッツとカリフォルニアで過ごした少年時代だけでなく、カリフォルニア大学バークレー校でソフトウェアエンジニアリングを学んだ4年の間も、このGorogoaという言葉はロバーツ氏の心の中に留まり続けていたのである[3]。
ロバーツ氏はその後、「Gorogoaという名前の刑務所」をテーマにしたグラフィックノベル作品の執筆を始めたが、事前にあまり考えず制作に着手してしまったので、1ページを描くのに4週間もかかってしまったと振り返っている[4]。
このことからも、Gorogoaとは、作中に登場する極彩色のモンスターの名前であることは証明されている。そして、この名前がそのまま作品名となっている。
[1] “Gorogoa” was the name of an imaginary monster that he invented when he was a child.| https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999
[2] “I think I was assembling… to me, it’s an onomatopoeia in a way, of something… I feel this, like, thunder, or something that’s really rumbling from under the ground,” he said. “It feels ancient and powerful, I think.”| https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999 / 'Gorogoa' is a name I've used in multiple projects for various creatures or places over the years. It sounds like thunder or underground rumbling - something ancient and powerful.|https://www.pocketgamer.biz/interview/68202/indie-spotlight-jason-roberts-gorogoa/
[3] The word gorogoa stuck with Roberts, through his childhood in Massachusetts and California and through his four years at the University of California, Berkeley, where he studied software engineering.| https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999
[4] He embarked on what was to be a massive graphic novel project, in which Gorogoa was the name of a prison. “I got eight pages into it,” he said. “I started it without thinking it through, and it was taking me four weeks to do every page.”| https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999
時間軸についてロバーツ氏は、Gorogoaの各場面は20世紀の歴史に沿うような時代設定で展開しているとも語っている[5]。短い平和、長い戦争、戦後復興とも呼べる再建の時代。これらの3つの時代を生き抜いた人物の物語である。よって本作の年代を具体的に当てはめるならば、第1次世界大戦後1920年代から始まり、およそ1990年〜2000年頃に結末を迎えていると想定できる。しかし戦争は世界の至る所で起きている。よって「平和、戦争、復興」という3つのフェーズに当てはまる場所・時代であれば、どこであれGorogoaの世界観から外れることはない。
[5] The scenes of Gorogoa take place in different time periods, which Roberts said tracks along the history of the 20th century: A brief peace, a lengthy time of war, a period of rebuilding. The platforms are placed as scaffolding on the sides of a building being remodeled post-war, looking “plausibly like a building” and not a puzzle piece.| https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999
公式サイトより
主人公の少年はシンプルに描かれてはいるが、南アジアか西アジア系のような容姿をしている。舞台となる街並みも、ヨーロッパ植民地時代のアジアを彷彿とさせる。しかし本作が特定の地域を具体的に示しているものはない。
本作では、具体的な人種、宗教、国、地域を描いていないと私は考える。本作はファンタジー作品であるため、『Gorogoa』の世界観は「この地球(人類文明のある都市)のどこか」ではあるが、具体的に「どこなのか」を追究する必要はなく、またそれは『Gorogoa』の物語の本質とも無関係である。私は『Gorogoa』の作中の舞台(場所)がどこの都市であるかは重要と考えず、特定も行わない。
この点について、STEAMのユーザーコミュニティでは、今なお政治的・社会的に混乱の多い中東や中南米地域をモデルとして推測する声が見られる。しかしロバーツ氏の発言の通り、本作では地域よりも時代性が重視されていると私は見ている。
本記事の第一テーマである「作中での時間はどのように経過しているのか」について情報を整理し、考察する。これは実際に主人公の容貌の変遷を辿ることで、その年齢経過を推定していくことが有効だといえる。本作に登場する主要人物が「すべて同一人物」であることは自明と思われるが、その物証を画面内に求め、同一人物であると断定できる根拠を検討する。
『Gorogoa』に登場する主たる人物は次の通り。
第一の「赤い服の少年」は本作のプレイヤーとともに不思議な旅を同伴する人物であることから、プレイヤーの分身となる主人公であると自明だ。その他の登場人物について、一見すると、主人公とは別の人物のように当初は描かれるが、後述するとおり、この「赤い服の少年」が体験する時間軸に「老人の回想(各世代の頃のリアルタイムに進行する体験)」が差し込まれる形で同時進行する。本作は、「赤い服の少年」が登場する他の男性登場人物とすべて同一人物であることが徐々に明かされていき、最終章においては主人公は「老年時代の男性」に入れ替わる。
人間に未来を見通すことはできないが、「記憶」を通じて過去を俯瞰し、睥睨し、凝視することはできる。振り返れば主人公が歩んできた人生は曲がりくねった道であり、平坦でもなかった。しかし実際にはひとつの一本道であった。このことが真実として、主人公にとって振り返るに値するものであったとして描かれる。
つまり主人公は「間違えた」ためにゴロゴアに拒絶されて塔から転落したのでも(少年時代)、徹底的に文献を調査したり、特定の星の運行や星座の元にゴロゴアが出現するだろうという学究を突き詰めたりしたが成果を得られなかったのでも(青年時代)、鐘(しょう:bell)・燭(しょく:candle)・杓(しゃく:ladle )の苦行の先に邂逅できるとされた、いずれの怪獣とも出会えずに自説が破綻したのでも(青年時代後半)なかった。それらのすべてを経験し続ける一本の道を、実は歩み続けてきたのである。
こうした「視点の重ね合わせ」が本作の独創的な特徴である。ロバート氏はGameDaily.bizのインタビューに対して「固形化された手堅い現実、日常の世界と目に見える一連の現実について考えるとき、そこに、もっと大きい何か、見えざる何か、そして永遠性、魔術的な何かが重ね合わさっていると私は考えている」と答えている[6]。
[6] “I'm thinking of looking at the solid, everyday world, and seeing another sort of reality, or something larger, something invisible, and eternal, or magical, superimposed on that,” said Roberts.| https://finance.yahoo.com/news/gorogoa-jason-roberts-grappling-reality-195100917.html
主人公の生涯|Lifetime
『Gorogoa』のゲーム内の目的は、主人公の少年を導いて、彼が「五色の果実」を獲得できるよう手助けすることである。本作における最重要の小道具がこの5つの果実だ。しかしこの果実、ゲーム内では描写が曖昧だ。いわゆる八百屋で売っている果物(くだもの)なのかどうかも定かではなく、象徴的な存在でもある。この記事では、主人公が獲得する果実を次のように定義する。
第4の果実は、実態としては「青色」をしているが、「青果(せいか)」は野菜と果物の総称としての一般単語がすでにあるために使用を避ける。青系の伝統的な色の名前には「水色」「空色」「紺色」「藍色」「群青色」「瑠璃色」などの色があるが、この主人公が手にする青い果実にふさわしい、やや緑がかった鮮やかな青色としては「碧」が最も近いだろうと判断した。紺では色が濃すぎ、藍では赤みが強いからである。
アジア圏では伝統的に「五色(五彩)」といえば赤・青・黄・白・黒を指す。日本古来からの伝統的な色認識も4色の赤(明るい)・青(淡(漠)い)・白(著(しろ)し/顕:はっきりと見える)・黒(暗(昏)い)である。しかし『Gorogoa』には白と黒の果実は獲得の対象ではなく終盤での回想時の混沌としてのみ登場する。本作では中間の色である緑と紫が登場する。
カバラにおける生命の樹(セフィロト)|
出典:Tree Of Life Kabbalah Colors
また、神秘主義思想においてよくモチーフとなるカバラの生命の樹(Sephirothic tree, Tree of Life)にも、色の異なる10個の「球」(セフィラ)が登場する。これらは順番に白、灰色、黒、青、赤、黄、緑、橙、紫、四色(レモン色・オリーブ色・あずき色・黒)、無色となっている。「Gorogoa」の果実はこのうち青、赤、黄、緑、紫が対応していると見られる。また終盤での黒や、聖獣ゴロゴア自体の極彩色を含むと、これらの色が一通りカバーされている。登場しないのは橙色くらいであろう。
カバラの生命の樹のアイデアは、様々なゲームで見られる。たとえば『Wizardry IV: The Return of Werdna』(Wiz IV, SirTech, 1987)では、明確に物語の根幹に関わっており、真のエンディングへ到達するためのモチーフとして登場する。Wiz IVでは黄、藍、すみれ色、こはく色、バラ色の水晶、オレンジ色、深い紫色、血のようにふかい赤、淡い空色が使われる。さらに謎掛け(リドル)をすべて解くと「真実・知恵・すべての色」をモチーフとする場面に到達する。ただしWizardry IVの作者には正確なカバラの知識があったわけではなく、1980年代にアメリカで出版されていた神秘思想の本(これはカバラを不正確に説明していた)を参照していたため、Wiz IVでは不正確なカバラの描写となった。
『Gorogoa』に話を戻し、5つの果実が何を象徴しているのかを整理する。ここでは少年期において見つけた実体のある果実と、老年期に気づいた経験・知恵・真理とが重なり合っている。だが老年期の回想においては、「黒い果実」が果実そのものから離れており、シンボルマークとシンボルカラーだけとなっている点が重要だ。そこに果実という実体はもはやない。
象徴の果実 | 少年時代に見つけた表層/偽装 | 後に得た真相/真理 |
---|---|---|
赤果 | 実体を持つ赤い果実(リンゴ)偶然の幸運 | (身(血)を以て得た)経験・体験。偶然性とは無関係な意図ある必然性を示す |
緑果 | 空想したゴロゴアの目(黒目のない目はフェイクである。※後述)。待つだけで得られた成果 | 意識的に探し求めなければ見つけられない、隠された生命の力(「捜せ、そうすれば、見いだすであろう」)を示す |
黄果 | 星、灯り蛾を誘う明かり、視覚される光 | (抽象的な)「輝き」そのもの。真理の蛾は時空を超越して輝きそのものとなることを示す |
碧果 | 遺跡にあり、訪ねるだけで無条件で手に入る | 巡礼と苦行の果てに残る「経験・体験」。絶望や徒労であったかと思われた取り組みも無駄ではないことを示す |
紫果 | 塔の上で単独で存在する果実(プラム) | 調和と隠遁。キルティングに描かれた他の模様とともにある紋様であり、何かが特別なのではなく、平等と公平性の中にあることを示す |
本作の第二の主人公が、謎に満ちた神秘的な存在「Gorogoa」である。本作では、主人公の少年にとって探究の旅の発端となるオープニングから、その人生の終末であるエンディングまで、この超自然的な怪獣が随所に登場し続ける。作品のタイトルでもある「Gorogoa」とは、この神秘的な怪獣の名であり、「ゴロゴア」と発音する。
本作『Gorogoa』には(設定画面を除けば)ゲームの本編内には言語的説明が一切ない。そのため、どのような言語でも使われていない言葉をタイトルにしたかったとロバーツ氏は述べている。そのため、このクリーチャーの名前がそのままゲームタイトルとなった[*7]。
タイトルロール(表題役)となっているクリーチャー(またはモンスター)のGorogoa(ゴロゴア)と、ゲームタイトル『Gorogoa』を区別するために、本記事ではゲーム(作品)そのものを指すときは『Gorogoa』と書き、ゲーム内に登場するこのクリーチャーを指す場合は「ゴロゴア(あるいは「聖獣ゴロゴア」)」と表記する。
[7] What does Gorogoa mean and how did you come up with it? --It's the name of the mysterious creature in the game. Since the game contains no language, I didn't want the title to be a word in any language. | https://www.pocketgamer.biz/interview/68202/indie-spotlight-jason-roberts-gorogoa/
ゴロゴアが聖なる存在なのか、善悪や混沌を示す存在なのかは、どちらとも言えない。しかしこのモンスターの醸し出す「超越性」は、善悪の二元論的価値観から離れた超俗的な次元にある。そもそもロバーツ氏が語る永遠性・魔術性は、二元論とは無縁の価値観だからだ。この摩訶不思議かつ不可侵な神的存在には、宇宙の摂理を司るような聖性(善性ではなく)がある。よって「聖獣」と付けて呼ぶのが妥当だと考えられる。
しかしこのクリーチャーは、ゲーム内においては「何もしない」。ただ姿を現すのみである。ゴロゴアは人間の社会に干渉する物理的存在ではない。物理の法則や自然の摂理といった「世界そのものの規則性・法則性」を体現する寓意である。具体的にゴロゴアが象徴するのは「時間」と「変化」である。この「絶えざる変化」という普遍性は、個々人の人間との影響関係を断絶しつつも、世界全体を「法則」によって支配する。何もせず、そこに居続けて、支配(干渉しないが影響はする)し続けるゴロゴアに、主人公は生涯をかけた執着と冷めることのない情熱を持ち続けるのである。
ゴロゴアの本質は、固定的な実体を持たないことと、万物の一部として関係性の中で絶えず変化と流転をすることだ。未来の主人公(老人)の回想(主観)の中で客観的に振り返るとき、主人公は過去の自分が体験したドラマを再体験しながら観察している。しかも、彼は内側から自分を見ている。彼はゴロゴアを「見えるもの(可視的存在)」「実体のある存在」と捉えていた。これが少年が生涯をかけてゴロゴアを追い求めることになってしまった理由だ。
だが本当にゴロゴアに実体はあるのだろうか。「ある/ない」「いる/いない」に始まり、「良い/悪い」「美しい/醜い」といった二元論的価値観は、人が脳内で生み出しているものである。脳科学では大脳皮質がそうした機能を担っていると説明している。これはいわば、人間の〝得意技〟だ。だがゴロゴアは、そうした「二元論的観念からの脱却」の先にある存在(概念)だ。主人公が探し求めているものは、彼が自分の記憶と、その記憶を補強し続けた文献に執着したことによる脳内での捏造に近い。捏造された可視的存在から離れて自己の経験と過去から教訓を得たとき、主人公は真理へ至るのである。
ズームインするパネルが左上ある場合、絵が左右反転した状態で使われる|If the panel to be zoomed in is in the upper left corner, a flipped picture will be used.
聖獣ゴロゴアが画面に姿を見せる時、その姿は常に左半身の側面のみであり、画面のこちら側へ向ける視線も左目のそれである。ただし考察を要する例外的な場面が2つ存在する。緑果を取得する場面(A)と、碧果を取得する旅路の第二の昼夜転換の場面(B)である。
下図の通り、Aはプレイヤーの操作次第で、ゴロゴアの目が対角線上のマスに来るよう自動調整される。そのため左右反転するケースがある。これはゲームシステム上の処置上やむを得ない表現と言える。Bは解釈を要する。この場面は建物が倒立した状態でクローズアップされることで、主人公にはその倒置が「正位置」となって道が開ける。ここでゴロゴアの出現は右半身(右目)がプレイヤーを向いており、「左目しか見せない」という仮説に矛盾が生じてしまう。この場面を上下反転してみても、ゴロゴアは右目を向いている。本来ならば左右反転されるべき場面だが、プログラミングの上で仕方がなかったのだろうか。
聖獣ゴロゴアの左目|Gorogoa's left eye
𓂀
ヒエログリフのホルスの左目| Wedjet – Eye of Horus in hieroglyphs
ゴロゴアの左目は、古代エジプトの重要なシンボルのひとつ「ホルスの左目(ヒエログリフ:𓂀 Eye of Horus、または「ウアジャトの目」)」である。これは月の象徴であり、太陽を象徴する「右目(ラーの目)」と対をなしている。
新月から満月を経てまた新月へ戻るように、月は周期的に満ち欠けを繰り返すことから、「喪失、回復、癒し」の象徴となる。かつ、ホルス神がオシリス神に目を捧げたことから「供物の象徴」でもある。ゴロゴアへの供物となる果実を集める行動から、少年期の主人公をスカラベ(フンコロガシ)と見るのも飛躍ではないだろう。
なお、画面は常にゴロゴアが左目しか見せないこと、加えて目の周りのアンク十字模様など文様装飾について下記のページの考察が参考になる。私もこちらの方の考察に賛同する。
GOROGOA考察して行きまっす|https://twitter.com/i/events/1023681552864108544?lang=ja
ゴロゴアが示すは、ふたつの寓意である。
第一の寓意は「時間」、第二の寓意は「人間の好奇心、真理へ到達しようという探求心と智恵の精神」である。ゴロゴアが主人公の前に顕現するのはわずか2度のみである。最初の機会は物語の幕開けとして、主人公(少年)が窓辺からゴロゴアのその姿を目撃する場面である。第二の機会は物語の終盤、五色の果実を揃えた主人公が塔上でそれらを捧げ、異次元のような空間でその「目」を前にする場面である。だが第二の場面で主人公はゴロゴアの全身を見ていないばかりか、その目は閉じられ、打ちひしがれた衝撃で塔から転落し、大怪我を負う。
物語の結末で老年となった主人公は遂にゴロゴアに到達するが、この場面では湧き上がるような光(あるいは燃え盛る炎)に包まれる中でフェードアウトしていくと、ゴロゴアの姿が現れる。このため、主人公はここでもゴロゴアの姿を直接は見ていないと考えられる。だが、上を見上げた主人公(老人)がその光を認識しているであろうことから、主人公は自分の生涯を賭けた(掛けた)旅路が集約⋯を迎えたことを理解している。いわば一種のハッピーエンドである。
それ以外の場面で、聖獣ゴロゴアがプレイヤーの前に現れるのは決まって「場面が転換されるとき(プレイヤーが少年を導くべき〝先の場所〟にゴロゴアは現れる)」である。ゴロゴアが出現するとき、中盤では「昼から夜へ」と場面が切り替わる。
ゲームの演出面において、夜になることで「その場面をクローズ」している印象をプレイヤーに与える。もうその時間・場所へ帰ることはできないと感じさせる。
昼から夜への転換は自然現象であり、人間にとっては太古の昔から観測の対象であった天文現象である。星辰は回り、季節は巡り、時間は流れる。そうした「変化し続けるという事実の普遍性(変わり続けるという不変の事実)」をゴロゴアは体現している。
赤果の獲得(第1章)の前、無音の室内には時計の刻を刻む音だけがする。この「時計の音」はアナログ式(機械式)時計の内部で「ガンギ車」(escape wheel)と呼ばれる特殊な歯車が一方方向へ動く(回転運動)中で、「アンクル」(fork pin)と呼ばれるT字型の部品が左右に動く(往復運動)なかで生じる音だ。いわば構造上の都合で出る音である。こうした時計の内部構造は、壮年期に修行の旅をする主人公を取り巻く歯車のモチーフともつながる。これはタロットカードにおける「運命の車」(Wheel of Fortune)の暗示も連想する。
人は「時間は常に一方方向へ進む」と思いがちであるが、本当にそうであろうか。「相対論では過去と未来は対照的である。時間が、未来→現在→過去という順序で流れても、相対論はそのまま成立する。というか、相対論の中には時間の向きや流れはない」(『時間はどこで生まれるのか』橋元淳一郎, 集英社新書, 2006年)。本作においても、時間は少年から老人へという過去から現在へと一方方向へ流れているように見えるが、その実、ゲーム内の巧みな演出によって、実態として老人が少年時代の回想へと時系列を飛び石に遡っている。
「時間」の象徴としてのゴロゴア。昼から夜への転換、天文現象をモチーフとして、「時間経過」が示される|
Gorogoa as a symbol of time, showing the passage of time as an astronomical phenomenon, the transition from day to night.
「時間(変化)」の寓意である聖獣ゴロゴアと切り離せない本作の主題が「記憶」である。
本作の構成は、老境に達した主人公が過去を回想しているようでもあるが、同時に少年時代、青年時代と壮年時代の各世代の主人公がそれぞれの時間の「現在」を生きている。本作のプレイヤーはそれらを同時に〝観測〟しながら少年時代の主人公と旅を続けるなかで、未来を垣間見、過去を振り返るといった記憶の中を行きつ戻りつする。その象徴が「写真アルバム」である。写真として「画像記録」となったそれらのシーンは未来から見た過去であり、少年の主人公にとっては現在形の場面となり、まだ見ぬ未来がそこには居並んでいることになる。
本作ではたびたびタツノオトシゴの図画が意図的に出現する。これらはみな記憶を司る脳内の部位「海馬」の象徴といえる。本作で主人公は年代ごとに「事物(attribute、象徴としてその人物に関連づけられているもの)」が描かれており、その中でも海馬(多脚の海馬という空想上の存在)は少年時代と青年時代と関連づけられて頻出する。
左 left:Hippocampus - Wikipedia, 中央 centre:The hippocampus in Greek mythology - Mythology wiki, 右 right:Hippocampus on a mosaic in Roman Britain
このように、聖獣ゴロゴアの第一の寓意である「時間」は、「普遍的な変化」として立ち現れるとともに、過去と未来が渾然一体となった概念として登場する。
少年が最初に開く分厚い文献には、聖獣ゴロゴアには「少年と老人が共に(青色の)深い鉢」を協力的に捧げ持つ姿が描かれている。これは二人の異なる人物ではなく、少年時代の真っすぐな好奇心と、老年期の智慧と迷いなき諦念とが一体となって捧げていることを示す。よって一人の人物が生涯をかけて探求した末に到達できる真理であることを表現している。
聖獣ゴロゴアの表す第二の寓意は「人間の好奇心と知恵の精神」である。ゴロゴアと遭遇した少年は、取り憑かれたようにこの神秘的怪獣の調査と探求を開始する。塔から転落する以前の少年はプレイヤーに導かれて五色の果実を難なく手にしてゴロゴアに再会する。だが彼はゴロゴロから突き放されたように錯覚して転落し、重症を負う。プレイヤーにとっても、あたかも主人公は「失敗した」かのように映る。
主人公は最初の文献が示した図像のうち、「少年が捧げる」という半分しか成し遂げていなかった。主人公も(またはプレイヤーも)五色の果実(後述)が揃っているのに、なぜゴロゴアは主人公を拒絶したのかという点の答えに最終章でようやく辿り着く。ゴロゴアへ捧げる五色の果実とは、文字通り手に入れる五つの果実だけなのではなく、主人公が人生のほぼ全てを掛けて到達すべき経験と智恵といった概念を学ぶことにもあったのである。物質的な探求と、精神的な探求、その二層構造の五色の果実を獲得した先に、真理へ到達するのである。
ゴロゴアの示す「真理」の実態が何であるかはもはや論を俟たない。芽ばえた好奇心を自由に育むこと、しかし「(人間が勝手に設定した)ゴール」などまやかしに過ぎないと理解すること、山頂を極めたと感じたところが長旅の出発点であったと知ること、常に最初の一歩であり続けること、調査や実証・実験を経てあらゆる可能性や仮説を検証し尽くした先でそれらすべてを回顧(反省)し、再探訪し、省察し、窮極まで純化させて全体験を〝解体の後に再構築〟すること。生涯を賭けて到達する真理とは、文字通り、生涯を掛けなければ到達しえないのである。
ゴロゴアの黒目|The iris of the eye of Gorogoa
主人公はゴロゴアの黒目を認識している|
He knows Gorogoa's Iris of the eye.
主人公(老人)は最後にゴロゴアの瞳の中に消え入る。ゴロゴアは実は、少年時代に登場するとき常にその目は「緑色のベタのみ」であった。しかし「真理に到達した瞬間」のゴロゴアの目にはついに黒目が描かれる。「画竜点睛」である。
主人公は生涯をかけてゴロゴアとの一体化を「完成」させた。それゆえに聖獣と一体となり昇天するかのように消滅するのが本作の最後のシーンである。アプリのアイコンのゴロゴアの目に黒目が描かれていないのは、まさにこのギャップによってエンディングに入る演出に直結する見事な演出的誘導である。アイコンにある緑目のゴロゴアはフェイクであり、未完成のゴロゴアである。ゴロゴアはまぶたを閉じ、かくして主人公が塔から転落したのであった。
だが主人公はどの段階でこのことに気づいたのだろうか。実は主人公が持つ本に描かれたゴロゴアには「黒目」がある。そして苦行を回想する壮年期の主人公が窓辺に座っている場面では、主人公がイメージするゴロゴアにも黒目がある。主人公は成長するに従い、どこかの段階で「塔上であったゴロゴアには黒目がなく、フェイクであった」と気づいた可能性が高い。あるいは書かれた図像の通り、黒目のあるゴロゴアだけを想像し続けていたのかもしれない。いずれにせよ実際には老境に入るエンディングまで、ゴロゴアとの再開はない。まだ足りないのである。真理に到達するには、その失意をも通過しなければならないというのだろうか。
ゴロゴアの真理に到達するとき、もはや老人は青い鉢を持っていない。青い鉢は「少年期においては持つべき実体」でありつつも、老年期においては「実体はなく、心(精神・記憶)がその鉢となっている」のである。
老人は鐘楼へ向かう時、青みがかったグレーの帽子(ツバなし帽子)を被っている。これは、そのまま老人の頭(経験と知恵)を入れた鉢である。老年期において、収集されたのは「果実」ではなく、「概念(経験と智恵)」となっているのがその証だ。
五色の「シンボル(上部に帯が飛び出た渦巻き模様)」は過去を省察するなかで「気づき」のようにして老人の心中で整理された。少年時代に鉢を捧げ持った時から幾星霜かを経て、主人公はようやく「二人で」捧げ物を完成させたのである。そうして主人公は真理に到達して画竜点睛を終え、光と輝く炎に包まれた。
本作のような神秘的な暗示、ほのめかしが多用される作品において、よくあるモチーフがタロットカード(大アルカナ)の当てはめだ。本作でも知的好奇心に突き動かされ、プレイヤーによる誘導で進んでいく少年時代の主人公は「愚者」のモチーフが似合う。知性と理性によってゴロゴアの神秘的世界を解き明かし、ゴロゴアとの再会を目指す主人公は「魔術師」や「隠者」。複数の苦行を経験することで異世界の扉を開こうとする過程は「運命の輪」のほか、その失敗には「塔」「死神」「悪魔」といったネガティブなカードが並ぶ。また、「星」「月」「太陽」の三枚のカードと「審判」を経て「世界」へ至る。
主人公の生涯は、次の4つの時代に分けられる。
少年期は「戦前」である。物語の背景として「戦争期」に相当するのが青年期前半。戦後、青年期の後半は学究的関心をもって聖獣ゴロゴアを調査し続ける。これを「学究期」とする。壮年期に入ると街は復興を遂げるが主人公自身はゴロゴアの出現を求めて3種類の苦行を自らに課す。老年期に主人公はかつて自分が訪問した遺跡を巡り、再び「紫果」の塔を登る。
少年は「写真の中」に入り込んで旅をしているように見えるが、これは少年期にたどった行程を老年期の主人公が写真を見ながら回想も同時並行で進む。つまりプレイヤーは、主人公の「現実と記憶の迷路」の中を旅しているのである。
青年期の主人公は、戦中と戦後の2つの時代を経験する。戦中は空爆によって荒廃した都市や、サイレンが鳴り響く中ででも、現実逃避するかのように文献調査を続けている。
戦後、学生の身分となった主人公は引き続き文献の調査を続行している。この章は黄果へ至る展開であり、青年期の主人公は光に導かれる。しかし大切なことは「光(星)を求め続けるという姿勢そのもの」であり、実際にその目指す星を特定してしまうことではない。
星とランプ|Stars and lamps
この学究期では、4つの星を経て第5の星が黄果となる。日没によって示される平和の終わり、空襲警報が鳴り響いて爆撃の続く夜、戦後の静かな文献研究への没頭、そして研究の結果として「その星がどのような時刻に現れるのか」の確信に至る。いずれのシーンにも主人公のすぐ背後には死の気配が濃厚に立ち込めている。プレイヤーが少年を導くことで、青年は実は何らかの死を迎える世界線を回避しているのではないか。
バタフライエフェクトのように、蛾の羽の目の模様に吸い込まれていくことで別の世界線へと切り替わっていく。だから少年は女人像(女神像)のある庭園から星の黄果のある樹下へと到達できたと思われる。光を求める蛾、星を求めた青年、その交差によって世界は青年の死を回避していくのが黄果の章のテーマであろう。
主人公を導くのは星である。「ランプに導かれる蛾」は、「光に憧れる少年」のメタファーである。心の目で見る真理の輝きにではなく、表面的な視覚的光源に誘われてしまうのがその暗示である。
黄果への道|A path to yellow fruit
学究期の第4の星は第1の星と同様に夕暮れに出現する特殊な星である。これは宵の明星(金星)とは異なる星であろう。主人公は文献の中でゴロゴアと思しき竜のような怪獣の絵を発見する。その出現は特定の時刻と星の配置を観測することで、ゴロゴアと巡り合えるのではないかと主人公は考える。プレイヤーが磁石と温度計のギミックを操作し、その〝特定の時刻〟を作り出すことで第4の星が出現する。
もちろん学究期の取り組みも、文献にある怪獣も、星も、それら自体は無価値だ。すべては「真理へ到達しようとする飽くなき精神」にこそ真の価値がある。だが、観念的に「精神に真の価値がある」などとお題目や建前のように知っていても無駄だ。調査し、研究し、仮説を検証する行為を実行し続ける主人公だからこそ、少年は黄果を手にでき、さらに最終シーンにおいて〝星に蛾が焼かれる〟場面へと至るのである。
特定の時刻に出現する星を観測することで聖獣ゴロゴアの出現に立ち上げるのではないか、という研究|
The young man believes that there is a connection between stars appearing at specific times and the appearance of Gorogoa.
学究期に文献調査に基づくゴロゴアとの再会に挫折した主人公は、探求期において次なる挑戦を行う。それが3つの修行だ。これらは学究期の際に、文献で見つけている。ここでは仮に、主人公が行う修行を使われる道具をもとにして「鐘業」「燭業」「杓業」と名付けておく。
鐘業では王冠を被った海蛇、燭業では馬頭の多脚海馬、杓業では有翼の竜である。いずれも正体不明のクリーチャーとして文献に登場していることから、主人公はこれらのクリーチャーを特定の宗教的修行をすることで〝召喚できる〟と考えていた節がある。しかし最後の真理の知恵へ到達するには、これらが徒労であったことを経験し、失意に陥いる必要がった。
修行の巡礼行地図と宗教用具|
Map of pilgrimage routes for ascetic practices and religious supplies.
テーブル上の数珠については具体的な修行シーンが描かれないが、砂漠の中を歩く修行が別途あったものと思われる。これらは宗教的用具であるが、聖獣ゴロゴアは宗教や信仰とは無関係の存在だ。
これらの修行はすべて、主人公が文献の中で見つけた情報に基づいている。主人公は、文献で見つけたゴロゴアと思しきクリーチャーの探索をすべて実践していた。
戦争期の青年の読んでいる本の内容。学究期に探究する蛾と灯り、多脚海馬が登場する|
The contents of a book read by a young man in the war years. Moths and Lights, and Multi-Legged horse(Hippocampus) include.
主人公は文献研究に明け暮れた学究期と、宗教的儀式によるゴロゴアの召喚を目指した探求期を経て、深い失望を味わった。碧果のエピソード(第3章)に入る場面で主人公の眼前のテーブルに置かれた儀式道具がそうした「自覚的失敗」を物語っている。
主人公はゴロゴア探求をついに諦めたのだろうか。一部はその通りだ。だが反面で「諦めきれていない」のが『Gorogoa』の主人公である。
老年期に入った主人公は、過去の調査資料を寄せ集めて再度の、そして人生最後であろう研究に入った。だが諦めもある主人公の手元はおぼつかない。資料を繰る手を止め、顔を上げる。その場面は少年が路面電車に乗る際のトークンになる象徴的場面だ。このトークンの絵柄は、見ようによっては単なる人物の横顔に過ぎない。だがプレイヤーはその横顔が主人公自身の老年期の姿であることを知っている。ここでもまた、老人になった主人公と少年時代の主人公の「重ね合わせ」が起きている。
主人公の最後の研究は、そうした資料の再検証に加え、現地の再訪問でもあった。その証拠が壁にかけらた写真(本ページの図版「主人公の生涯」の「写真E」である)だ。碧果を得た遺跡を主人公は再訪し、記念撮影をしているのである。
プレイヤーは過去と現在と未来を行き来する。だがもはや、どの時間を起点とするのかさえ定かでなくなる。つまり時間軸を行き来しているが、少年の各時点のすべてが「現在」となっていて、ここには過去も未来もない。
少年時代に転落した鐘楼に、主人公は老人になって再び登った。主人公はそこで考えた。すでに藍色の鉢も、捧げ物となるべき果実も手元にはない。それは転落したその日、すべて失われてしまったのだ、と。
だがその、想起し、回想し、自己の経験を振り返ったことこそが、真に重要なことだった。鉢は主人公自身がすでに頭に被っている(灰青色の帽子)。墨より深く黒くなった果実は回想のなかで〝新しい気づき〟に変わる。
その5つの気づきは、上の「5つの果実が象徴するもの」に表でまとめたが、真相の部分のみ再掲する。
キルティングとレリーフ|quilting and relief
赤:身(血)を以て得た経験・体験。偶然性とは無関係な意図ある必然性を示す。
緑:意識的に探し求めなければ見つけられない、隠された生命の力(「捜せ、そうすれば、見いだすであろう」[8])を示す。
黄:抽象的な「輝き」そのもの。真理の蛾は時空を超越して輝きそのものとなることを示す
碧:巡礼と苦行の果てに残る「経験・体験」。絶望や徒労であったかと思われた取り組みも無駄ではないことを示す。
紫:調和と隠遁。キルティングに描かれた他の模様とともにある紋様であり、何かが特別なのではなく、平等と公平性の中にあることを示す。
[8] 『マタイによる福音書』7章7「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」 7章8「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」 7章13「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」 7章14「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(『口語 新約聖書』日本聖書協会, 1954年)| https://ja.wikisource.org/wiki/マタイによる福音書(口語訳)
また、主人公の寝室の壁面も見てみよう。精神が錯乱しているのかと思えるようなスケッチのコラージュ、4つに分割された天体図らしきもの、そして謎めいた輿(こし:乗り物)、摩天楼にまとわりつくタコ(これは『キングコング』のポスターに似ている)。2本マストの帆船は、この場面でしか登場しないモチーフだ。「風を受けて進む」「風向きによって帆を操りながら船を前進させる」という点で、運命(風)との向き合い方を暗示する。
少年の部屋の壁|Wall of boys room
主人公にとって失意と失敗意識の連続の人生であったがゴロゴアへ至る体験の連鎖と〝道〟において、ひとつの無駄もない。すべては影響しあって連鎖しており、それぞれが道しるべである。因果関係は、本人の意識や認識の外へと広がっている。最終章で青いシンボルに至る歯車は、主人公から直接つながっておらず、壮年期の主人公もそれに気づいてはいない。だが老年時の主人公と視点が重なっているプレイヤーからみると、それは明確につながっていることがわかる。これが老年期を通じて主人公が得る真理である。
すべての修行は無駄ではなかった|Every action had meaning.
〈おわり〉