瞋恚(しんに)のほむらと「暁美ほむら」の名前の謎解き
journal of ozakikazuyuki.com

しんのほむらと
「暁美ほむら」の名前の謎解き

能『葵上(あおいのうえ)』で使われる表現「瞋恚(しんに)のほむら」を目にした時、「瞋恚」と「暁美」の字面が似ていて、そして「ほむら」が共通点となっていることに気づいたのは一年ほど前のことだ。

まどかとグレートヒェンの関係は周知だが、ほむらと『葵上』に登場する六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の比較も可能なのではないか。本論考で書かれた内容を裏付けあるいは否定する情報(関係者インタビューなど)が存在する場合、それは筆者の情報収集不足によるものである。ご容赦願いたい。

さて、本論に戻る。『葵上』に、タイトルロール(表題役)の葵上自身は登場しない。葵上は病床にあることを示す小袖が舞台正面に置かれるだけである。登場人物の巫女と廷臣(朝廷に仕える官僚の一種)が現れ、葵上に物ノ怪が取り付いたのでその正体を調べて欲しいと廷臣が巫女に告げるところから物語は始まる。

『葵上』は『源氏物語』の「葵」巻に題材を取った能楽作品である。六条御息所は賀茂の祭の際、光源氏の正妻である葵の上一行から受けた侮辱に耐え切れず、生霊となって葵上を苦しめているのである。巫女の呼びかけに応じて「六条御息所」の霊が現れ、「浮世(=憂き世)が憂い深いのは、牛(=憂し)の小車の輪のように因果がめぐり巡い、前世からの因縁の報いがあるからなのでしょう。輪廻というものは車の輪のようなもの」などという。物語の前半では「泥眼(執念を持って死んだ女の霊の面)」を身につけているが、後半では「般若」(嫉妬の象徴)の面となり、鬼女となる。『まどかマギカ[新編]』でほむらは、劇中で愛は述べるが嫉妬くさいことはいわないものの、象徴的はトカゲであり、六条御息所の装束がウロコ模様(情念の象徴)の摺箔(すりはく/衣装)である点も、関連があるように思える。『葵上』の後半、修験者が呼ばれて祈祷が始まると生霊は怒り、鬼の姿で現われるが、最後は法力によって浄化される場面で終わる。

「瞋恚のほむら」とは

『葵上』で「瞋恚のほむら」のワードは前半、御息所が登場して巫女との会話の中で使われる。

原文

ツレ 〽この上はとて立ち寄りて、わらは後にて苦を見する

シテ 〽今の恨ほはむら有りし報い

ツレしんほむら

シテ 〽身を焦がす、

ツレ 〽思ひ知らずや。

シテ 〽思ひ知れ

現代文訳

現代語訳の出典はこちら

御息所 何と何と、恨めしい事。今となっては、この女を打ち据えずにはいられない。

巫女 六条の御息所ともあろうご身分のお方が、後妻打(うわなりう)ちのお振舞いとは、なんというこ と。そんなことがあってよいものでしょうか。どうか心を静め、おやめください。

御息所 いいえ、あなたがどんなに止めても、今は打たずにはいられないのです。と、枕辺 に立ち寄ってはっしと打つ。

巫女 そこまでおっしゃるなら、私が苦しめましょう。

御息所 今の私の恨みは、あなたの仕打ちへの報い。

巫女 怒りの炎は、

御息所 私の身を焦がすのです。

巫女  思い知るがいい。

御息所 思い知れ

辞書による説明

しん いの ほのお -ほのほ 【瞋▼ 恚▼の炎】〘仏〙 瞋恚の激しさを炎にたとえた語。激しい怒り。

出典:『大辞林 第三版』(三省堂)


しん‐い【×瞋×恚/×嗔×恚】

《連声 (れんじょう:前の音節の末尾の子音が、あとの音節の頭母音(または半母音+母音)と合して別の音節を形成すること) で「しんに」とも》
1 怒ること。いきどおること。「―に燃える」
2 仏語。三毒・十悪の一。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。

出典:『デジタル大辞泉』(小学館)


[新編]においてほむらは嫉妬を表す場面はないが(「怒り」については『まどかを支配する気ね!』とキュゥべえを惨殺する場面は印象的だ)、今後の展開において『葵上』のような展開はありえるのだろうか。気になるところである。

「暁美ほむら」の謎解き

「暁美ほむらの命名(名前の由来等)」に関するアイデアとして、Web上ではしばしば次のような説を目にする。少し整理してみたい。

「あけみ」は「あくま(悪魔)」の「く」と「ま」を五十音表で1文字ずつスライドさせたものである。つまり「あ→あ け→く み→ま」」という説である。偶然の一致にしては説得力がある。「あ」は五十音ん先頭で移動できないのでそのままであるという。たしかに「あけみ」が「あくま」に変わるわけなので、その逆(「あくま」→「いけみ」)を検討する必要はない。

もうひとつ目にする説は「暁美」とは、明け方に輝く明星、すなわち金星を意味するというものである。

金星からは、ふたつの意味が読み取れる。ひとつは愛の美神ヴィーナスを象徴する星であること(ここで「愛よ」を連想するのは自然な発想だろう)。金星は夜明けに輝く「明けの明星」であるが、同時に堕天使ルシファーの象徴であること。ミルトン『失楽園』などによれば、ルシファー(ルシフェル)は偉大な天使であった。だが心に傲慢さが芽生えて天界で神への〝叛逆〟を企てるが、露見して失敗し、天界を追放されるというものである。ただし語源としては、金星はラテン語で〝光〟Luxと〝運ぶ〟feroの合成語で〝光をもたらす者〟の意味であり、聖書がギリシア語からラテン語へ翻訳された際に「金星(明けの明星)」に当たる単語ルーキフェルが悪魔の名として使われたことで定着したに過ぎないとも言われる。ルシファーが悪魔の顔役的な存在の名前となったのはそうした経緯による。明星(暁美)と悪魔はこうした観点でも繋がる部分である。なお、ルシファーは地獄の第9層に拘束される罰を受ける。

『失楽園』でのルシファー

神に叛逆して敗北した堕天使ルシファー。人間に対して嫉妬するルシファーは、人間が楽園(エデン)から放逐されるべく謀略を図る。人間はそして罪を甘受して楽園を後にする。

『神曲』でのルシファー

地獄の最下層である第9圏「裏切り者の地獄」の中心部に幽閉されている。この場所にはユダやブルータスもいるとされる。多種の罪の中で「裏切りが最も重い犯罪」とされているのが興味深い。


いずれの説にも偶然の一致あるいは、空想に過ぎない点がある。とはいえ排除するにしても「排除するだけの根拠に乏しい」と思われるし、十分にロマンティックな説である。「暁美ほむら」を〝名付け〟の視点で考える上では貴重な説だと言える。

さて、振り返って瞋恚のほむらと暁美ほむらの関連性であるが、これはまず「字面(じづら)が似ている」ということが最大の特徴であり、それ以外の根拠は薄い。しかし〝『ファウスト』の仏教的解釈による物語〟と評される『魔法少女まどか☆マギカ』であるから、登場人物の名前や行動、性格などを考察するうえでは能、ダンテ、ミルトンを引き合いに出すのもあながち的外れではないと思いたい。