コンサート感想|OTOの会 新作コンサートシリーズ No.26

2022.9.30

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コンサートチラシ|OTOの会公式サイトより

 「OTOの会 新作コンサートシリーズ No.26」を聴いた。8作品もの新作が聴ける贅沢な機会だ。私は喜んで出かけ、満足して帰ってきた。私は素人観客でこのページはその備忘録に過ぎないが、曲ごとの感想を残しておこう。

 プログラムは約2時間。あっという間に感じた。時を忘れるとはこのことだ。とはいえ純粋に音楽を楽しむために出かけても、それを受け入れる私自身の心身は現代社会の現実や諸問題と無縁ではない。世界はコロナ禍と侵略で荒れている。国内も経済と社会はますます暗くなる。秩序が崩れ、幸福が目減りしていく世の中だ。だがこんな時代においても、理性を失わずに踏みとどまっている芸術家は大勢いて、活動を再開していることが何よりも嬉しい。

 今回のコンサートでは、クラリネットがフィーチャーされている。ひとつの主軸あるいは中心点を置いてシリーズが企画されるというのは楽しい。

感想

福田 恵子氏「切りとられた素描 II クラリネット・ソロのために」

 コンサートの開幕は無伴奏作品である。無伴奏とくると一般聴衆は、弦楽器のためのバッハの作品をすぐに思い浮かべるだろう。一方、管楽器のための無伴奏作品について私は、偏見混じりの独断で「とにかく地味になりやすい」と思っている。だからこそ聴き映えをよくするには、作曲者の確固たる志向性と演奏者の盤石な意志、そしてホール空間の一体化が不可欠だ。本作は循環呼吸や各種の特殊奏法を駆使しつつ(それは楽譜に書かれているのだろう)、それ以上に聴き手をのめり込ませる吸引力(それは楽譜に〝書かれ〟てはいないだろう)があった。

 図像の一部が、図像の全体と相似している構造をフラクタル図形という。視点をズームイン・ズームアウトしても、同じ図形が繰り返されるものである。本作は、まるで音楽のフラクタル図形だ。時間は経過しつつも、自己相似の景色の中を旅しているような錯覚を受けた。

 だがその旅は、似た場所を行き来しているようでありながら、元の場所と同じにはあらず。いつの間に景色が変化しているのだ。東京に似た街を歩いていたはずが、ハッと周囲を見渡すと、自分の立っている街並みがカイロだったら驚く。あるいはブエノスアイレス、サイゴン、モンバサ、シカゴ、ストックホルム。そのような、フレーズの迷宮に迷い込み、浮遊感のある短いトリップ(短い旅かつ幻覚的陶酔感)を味わる小品だった。

 余談だがクラリネットの音色と緩急をつけた展開、半音階や十二音技法の組み合わせで構成された作品は、私のようなTVゲーム世代にとってすぎやまこういち氏「ドラゴンクエスト」にたびたび出てくる地下迷宮の不穏な音楽を連想させる。私にとっては、耳馴染みある音楽といえた。

梅川 令子氏「クラリネットとピアノのための対話」

 2曲目はピアノ伴奏である。これは私の想像だが、本コンサートシリーズでは演奏者から作曲者へ、その楽器の特殊奏法を含めた表現力(表現可能な〝可能性〟も含む)についてのワークショップが行われた上で各作曲家は実作に取り組んでいるのかと思う。この後に続く作品もそうなのだが、同じような現代奏法がわりと頻繁に登場する。各作曲家のインスピレーションを刺激しているといえばその通りなのだろうが、1つの楽器をフィーチャーすると、そうした偏りが生じてしまうのだろう。本作ではピアノが伴奏のようでありつつも、実際はダブル主役の協奏的性格のように感じた。そう感じられた点が「対話」の意味だと標題を解釈した。

 現代音楽が前衛であった過去、ときの権力者から頽廃のレッテルを貼られたと音楽史の本には必ず書かれている。しかし私は今、前衛時代の作品を聴いても不健全・不健康といった意味での頽廃をまったく感じない。むしろ童心を感じる。それも、真の成熟した大人だけが人生を賭け続けた先に到達できる純真さだ。いわば無私の遊び心である。

 私は本作から、そのような知的でありつつ、同時にピュアな遊び心を感じた。遊園地のミラーハウスのような、摩訶不思議な迷宮体験である。この点は1作目の福田氏作品とも共通性を感じた。欲を言えば、演奏された部分に続く2楽章や3楽章が聴きたかった。

橋本 忠氏「フルートとクラリネットのための4つの小品」

 フランス人は科学好きな人々らしい。実学を愛し、機械工学や産業、化学にも強い。原子力発電所のような巨大システムからキッチン家電まで、テクノロジーが日々の生活を豊かにするという思想を最初に確立したのはフランス人ではないかと私は想像している。

 そうした科学技術への信頼と、料理を愛する国民性が融合した結果、フランス料理は面白い進化を遂げたと聞く。たとえば食材を遠心分離機に掛けて分子レベルでバラバラにし、それを自在な(あるいは化学的な手法を織り交ぜた)調理技術によって食材の元の見た目とは極限まで異なる新たな料理を生み出している。

 この橋本氏の作品から私が受けた印象も、まさにそうしたフランス料理の素晴らしい一品を4皿いただいた、というものである。誰もが知るフルートとクラリネット。その音から立ち昇る香りは、既知のフルートとクラリネットと変わらない。なのにまったく新しい食感が鼓膜に作用し、未体験の聞こえ方で聴覚に作用してくる。大きな白い丸皿の真ん中に、融合して立体的に盛り付けられたフルートとクラリネットを食するような愉しさ。4品目は、特にスパイスが効いたアグレッシブさで締め括られており、特に印象深かった。

鷹羽 弘晃氏「国境のない唄 II 3人の奏者のための」

 音楽を聴くために音楽会に来ているのだから、美しい音を楽しみたいと一般聴衆は誰もが思う。私ももちろんその一人だ。だがあえて、「美しい音とは何か?」という再定義を問うプレゼンテーションされたら、聴衆は何を考えるだろう。そしてそれはどういった音なのだろう。

 分解された単音とリズム。ぽつりぽつりと並べられるそれらを聴衆はじっと聴いている。というよりも、耳で見ている。面白いことに、時間が経つにつれてこの作品の音楽の正体がゆっくりと浮かび上がってくる。私は本作を通じて、綺麗な音さえしていれば、それが即すなわち良い音楽なのか? と問われたように感じた。

 音楽がリアルタイムに進行する。聴衆は座席で固唾を飲んで見守るしかない。そのリアルタイム体験があるからこそ、図像のように整ったメロディが浮かび上がってくる。すばらしく贅沢な時間を生み出す仕掛けだ。さらにいえば当然ながら、この体験を全観客が同時刻に経験する。この曲のタイトルには「3人の奏者のための」とあるが、私はこう提案したい。「3人の奏者および300人の聴衆のための」と。

大家 百子氏「やわらかな珊瑚の森 “Soft coral forest” for Clarinet, Contrabass and Piano」

 現代社会で誕生する新作クラシック音楽というのは、果たしてどこまで現代的だと言えるのだろう。現代アートもそうだが、わざわざ現代と付ける意義はどこにあるのだろう。旧来の価値観や伝統的なものの見方への破壊性をことさら強調する意図があるとしても、それは過去のどの時代においても、同時代においてすべからくそうであったはずだ。そうした新作が自己破壊力と強靭性を持たないならば、時間の流れという無慈悲かつ粗暴なロードローラーによってぺしゃんこにされてしまう。時代を超える作品は、麦の穂のように立ち上がる復活力をも持つ。

 そういう観点で、本作は非常に面白い。踏まれた麦がただ起き上がるだけではなく、気品と格調高さを備えた「(音楽の)調べ」で本作は構築されていると感じた。特殊奏法も含めて、演奏は容易ではないだろう。だが本作には「優しさと一体になった強さ」が濃厚に漂う。信念をもってデザインされ、造営された庭園のような美しさ。知的で理性的な音楽の庭園があるとすれば、本作だろう。私はそのように受け取ったため、標題の意味を直接的に感じるものはなかった。

木村 裕氏「ディヴェルティメント 第4番 for Piano, Clarinet and Violin」

 珠玉という言葉がある。美麗で立派なものを称えるときに使う。海の宝珠と山の宝玉、それらの代表は真珠と翡翠(ひすい)だ。このコンサートにおける珠玉は本作だと私は呼びたい。本当は珍品と書きたいのだが、珍の字の本来の意味である「滅多に見られないほど貴重で素晴らしい=めずらしい」が、現代では薄れてしまっている。珍品といえば「ヘンテコなもの」といったニュアンスが付いてしまっているように思うので使用を避けるが、私は珍の字の尊い意味がまた広く知られて欲しいと願っている。

 さて本作は、冒頭からまず聴衆の頬を平手打ちする。このコンサートで初演される作品の多くは小さく弱く、静かに厳かにゆっくりと開始されている。無音の幽玄から浮かび上がってくるそれらの作品と対照的に、本作では突発的な山火事のように滅亡的な死が聴衆に降り掛かってくる。乾燥した土地の山火事で起こる火炎旋風は凄まじい。地表のものを巻き上げながら焼き尽くす。だが生命は終わらない。焼け跡からやがて新しい芽が現れる。私はこの作品を、死から始まる生命の煌めきを描くストーリーであると感じた。

 執拗に繰り返されるグリッサンド、ヴァイオリンの重音の中からクラリネットが立ち上がり、長く長く伸ばされる。フラッタータンギングはこのコンサートのほぼすべての作品に登場しているポピュラーな特殊奏法だが、本作では通常のタンギングと連続して使われることで一味違った聞こえ方がした。本作がまた本日の他の作品と異なるは、唐突に普通の三和音が挿入されるシーンの多さであろう。シンプルな煌めきが不意に目の前で瞬くのだ。目まぐるしくシーンは入れ替わるが、共通のモチーフが登場するようだ。それらは短いスケルツォが連なる、生命の躍動的なロンドである。

 他の作品でもヴァイオリンの弱音器は使用されていたように思うが、本作での使用が音色の変化という点で最も効果的に使われていたように感じた。

蛯子 浩二郎氏「夢の中の草原にて~Flute, Clarinet, Violin, Double-Bassの為の~」

 一つ前の木村氏の作品がストーリーだとすれば、蛯子氏の本作はサイエンスだ。音と数は兄弟姉妹のような存在である。本作では数学が音を身にまとって流れていく。あるいは数列が音に化けて聴衆の耳の間を行進していく。絶え間ない変拍子の難しさゆえだろう。本作の演奏にのみ指揮者が立った。数列と実演家との間に立つ者が必要であろうことも一聴してわかる。

 本作を一聴してわかるもう一つの点は、シンボルのような音が演劇の登場人物のように次々に立ち現れることだ。シンプルで特徴的な音型が動機のように使われる。完全一度を繰り返し鳴らす。聴衆は幾何学的な反復によって、本作の登場人物たちの息遣いをその世界の中に感じる。ただ、そのシンボルが具体的に何を表しているのかまでは、一聴では私には分からなかった。本作では具象的で描写的なストーリーではなく、象徴的かつ数式的に音楽が進んでいくように感じたからだ。触れることはできない。しかしシンボルは入れ替わり立ち替わり姿を見せる。そして本作は、いつしか数学から宇宙物理学へと変化していた。

 どのような具体的な使い分けがなされているのかは分からなかったが、ヴァイオリンが弓を持ち替えて演奏している点は興味深かった。

名倉 明子氏「真鍮の人魚 フルート、クラリネット、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノのために」

 本コンサートの後半3曲は、それぞれの性格が大きく違う。木村氏の作品がストーリー、蛯子氏の作品はサイエンス、そして名倉氏の作品はダンス。それもバレエダンサーが踊るコンテンポラリーダンスのような印象を受けた。つまり本作は本日のどの他の作品よりも舞台的であった。

 演奏メンバーも総出演のトリを務める大作であり、さまざまな演奏技法・表現技法が繰り広げられる室内楽の曼荼羅に感じた。壮大でありつつ緻密、濃厚でありながらも風通しは良い。相反するような価値間がバランスよく居並び立つのは、この室内楽編成ならではの特徴なのだろう。

新曲初演を聴く際について

 ところで私は新曲のコンサートを聴くときは、こんなことを考えている。

 新曲初演は予習ができない。もちろん聴きに行く立場での話だ。映画やイベントと違って、報道陣(マスコミ)向けの試写・試乗といったこともない。そういうケースがあるとしても、報道記者向けに当日リハーサルを取材許可する程度だろう。よって聴衆がその日初演される現代音楽の新作の内容を、事前情報として知る機会はない。

 例外がひとつある。開場し、入場時に受け取るパンフレットに目を通すことがそれだ。大抵の場合、作曲者自身の筆による作品紹介あるいは解説が掲載されている。開演までのしばしの退屈を持て余しがちな観客は、つらつらとそれを読む。そしてこれから聞く新作の情報を文字で仕入れてしまう。

 気をつけてほしい。解説文を読んでしまったら、もう読む前には戻れない。受ける影響の度合いは、その文章の内容と質によって差はあれども、何らかの誘導を聴く者に行う。正確には、読んでしまった者は自分自身の「聴き方」を自ら誘導してしまう。

 解説文は新曲の付帯物ではあるが音楽ではない。同じ作者から生まれたものだが、作品を構成する要素でもない。音楽ではない情報によって、先入観が植え付けられる。自分の耳が無垢でなくなる。一期一会の初対面でなくなる。それで構わない人は、もちろんそれでいい。だが私の場合はそれを避けるべく、意識的に気をつけている。

 今回のこのコンサートでも作曲者による解説・説明がパンフレットに記載されていることをチラ見したため知っている。だが意識的に文字を拒否し、読まずにおいた。さて、ここまで書いたところで、ようやくパンフレットのページをめくり、解説を読んでみよう。上に書いた自分の「感想・印象」は、作曲者自身の「意図」とどれくらい噛み合っていただろうか。もちろんこれは答え合わせではなく、窓を開いて新しい風を入れるためのことである。


text by ozakikazuyuki |Contact: contact@ozakikazuyuki.com


OTOの会 新作コンサートシリーズ No. 26
鷹羽弘晃プロデュース
「室内楽-OTO」 第5回近藤千花子のクラリネットとともに
2022年9月30日(金)19:00
東京オペラシティ リサイタルホール

公式ページ

Program

福田恵子
切りとられた素描 II クラリネット・ソロのために

梅川令子
クラリネットとピアノのための対話

橋本 忠
フルートとクラリネットのための4つの小品

鷹羽弘晃
国境のない唄 II 3人の奏者のための

大家百子
やわらかな珊瑚の森 “Soft coral forest” for Clarinet, Contrabass and Piano

- 休 憩 -

木村 裕
ディヴェルティメント 第4番 for Piano, Clarinet and Violin

蛯子浩二郎
夢の中の草原にて~Flute, Clarinet, Violin, Double-Bassの為の~

名倉明子
真鍮の人魚 フルート、クラリネット、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノのために

出演:
近藤千花子(クラリネット) 泉 真由(フルート)
鷹羽弘晃(ピアノ) 三瀬俊吾(ヴァイオリン) 中村勇一(コントラバス)

主催:OTOの会
後援:(特非)日本現代音楽協会 公益財団法人東京交響楽団 管楽器専門店ダク