試論|人間にはなぜ、何のために承認欲求があるのか?

2022.8.8

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©いらすとや

承認欲求とは

「承認の欲求」は、マズローの「階層説」においては第4階層の「esteem」(尊敬、敬意、評価)にあたる。これは欠乏欲求の中では最上位の社会的な欲求である。承認欲求の上には「自己実現欲求」がある。[1]

 組織研究の第一人者である太田肇氏は、承認欲求を「他の欲求を満たし、さまざまな動機を達成するための手段になるため」と説明する。マズローは地位や名誉、利権といった〝低次元〟の承認に止まるのではなく、成長のための技能の習得、自己尊重感の獲得、そして自立性を促す〝高次元〟の承認を満たすべきだと述べている。[2]

 なるほど。他人の目を気にして窮屈に生き、不安や緊張感にさいなまれるのではなく、未来志向で成長のために自分自身を正しく評価できるようになろう、と諭されている感じがする。劣等感や無力感、不平等感といった負の感情や物の見方から自分を解放するために、安定した自我をどう獲得するか、という点で自己理解の第一歩にはちがいない。

人類にとっての承認欲求の意義

 しかし私がいま気になっているのは、上のような自己啓発的な話ではない。その前段・前提についてだ。この欲求がなぜ人間に備わっているのか? それは人間の種としての存続において、どのような意味や価値があったのか? という点だ。

 承認欲求は人種や時代を問わず、あらゆる人間に古くからあり、現代まで残っている〝本能的な欲求〟だと考える。決して、現代になってクローズアップされたものではないと仮定する。次の2つの可能性が思いつく。

 ①共同体(群れ社会)から排除されたらその個体は生きていけない。群れの中での承認(一員として存在を認められる)を得なければならない。よって承認欲求は、人間が社会的動物であることに由来する、古い生存本能の名残りである。

 ②動物は繁殖できなければ自分の遺伝子を後世に残せない。繁殖するには他の異性個体に承認され、カップルとなる必要がある。よって承認欲求は、動物としての生殖​​本能の名残りである。

 こう考えると、承認欲求は自己実現の手前の段階だとはいえ、実に〝動物的〟な欲求だ。近世以前の小さい地域社会(ムラ社会)で一生の大部分が済んだ時代ならば自己承認の欲求に正直に生きることに不自然はなかっただろう。だが現代人の生活と社会において、この承認の獲得は永久に達成不可能なテーマだ。

現代人にとっての承認欲求の付き合い方

 ならば現代人はどうやって承認欲求と付き合っていくべきか。

 ①一人でも生きていけるという「諦め」を好意的に肯定すること。

 人は誰でもチヤホヤされたい。私も同じ、あなたも同じ。それを事実と認めること。チヤホヤ感は強力な快感を脳に与えてくれる。依存性の高い劇物だ。あるいはもっと単純に、小さい子供は親に承認されなければ、あっという間に飢えてしまう。だから承認を求める好意は自然なことだ。とはいえ、一歩立ち止まって、チヤホヤされるのは自分の「生存(換言するなら「健康で文化的な最低限度の生活」)」には大して影響しないと達観すること。しかし、どうしてもチヤホヤされなければ自分は生きていけないと感じるなら、あなたが求めるべきはメンタルヘルスのクリニックであろう。クリニックを受診するほどでないと自分で感じるならば、おすすめなのは初期仏教の古典図書。そこには、どのような友達と付き合うべきかが説明され、良い友が得られないならば独りでいることを恐れるなと諭してくれる。良友を得られなくても、古典の良書はあなたを裏切らない伴侶となってくれる。

 だから大丈夫。あなたが感じる「個体の生存本能としての承認欲求」は、現代社会ならばなくても生きていける。

 ②自分の遺伝子を無理に残す必要はないと肯定すること。

 あなたの承認欲求、それは自分の遺伝子を持つ子を得たいという、動物的欲求だと思ってしまえばいい。世界の人口はいずれ100億人に達するかもしれない。その中で、種の保存の本能として、あなたの遺伝子がどれほど必要だろうか? 別になくても誰も困らないじゃ無いか。そう簡単に結論づけられるだろう。

 だから大丈夫。あなたが感じる「生殖本能としての承認欲求」は、現代の地球上ならばそれはあなた一人の悩みでしかなく、誰も気にしていない。

承認欲求を「無用の長物」と思うことにする、ということ

 寂しいかもしれないけれど、いま私やあなたが感じている承認欲求は、無用の長物なのだし、むしろ私やあなたを迷わせ、惑わせ、困らせてしまうものでしかない。承認されてもされなくても、あなたも私も今日を生き、明日を生きる。承認を目的として貴重なエネルギーを消費するよりも、承認を目的としない個人的な愉しみの中で何かかけがえのない成果を生み出し、気づけばそれを他人が拍手で称賛していた。そんな展開の方が面白いんじゃないか。

 古い時代においても、承認は手段でしかなかった。それはその個体が生きるためであり、あるいは種の保存を指向する本能として。目的だったことは一度もない。そう思えば、誰かに認められたいという欲求が、いま、あなたを苦しめる必要は全然ない。

 ヒトが、単為生殖(クローン)で増える生命ではなく、遺伝子をやりとりする有性生殖を選んで生き残ってきた時点で、そして知恵と社会を持ってしまったことで、承認欲求は根治しにくい難病として、私やあなたに残ってしまったのかもしれない。

参考文献
[1] A.H.マズロー『人間性の心理学』産業能率短期大学出版部, 1971年
[2] 太田肇『「承認欲求」の呪縛』新潮社, 2019年

〈おわり〉