コンサート感想|千葉交響楽団 第113回定期演奏会「あふれる才気を楽しむ」

2023.6.1

スマホ向け:記事カテゴリ一覧を跳ばす


公式サイトより)

熱演!

 千葉交響楽団の第113回定期演奏会「あふれる才気を楽しむ」を聴いた。市川文化会館大ホールから溢れた暖かい雰囲気と愛情! 千葉県唯一のプロオーケストラとしての堂々たるプライドを感じる熱演だった。

 1曲目、J.C.バッハのシンフォニア変ロ長調 作品18-2。J.C(ヨハン・クリスティアン)バッハは、大バッハで知られるJ.S(ヨハン・セバスティアン)バッハの後妻との間の末っ子だ。モーツァルトと同時代の人物であり、対面もしている。このシンフォニアもワクワクと楽しく、2楽章の美麗なオーボエソロなど、音楽を聴く喜びをしっぽりと味わえる演奏だった。いい曲を知ることができ、嬉しくなった。

 2曲目、モーツァルトのホルン協奏曲 第3番 K.447。本日の事実上の目玉の演目だった。私は実は3曲目の幻想交響曲が目当てだったので失念していたが、会場へ向かうときにホルンの楽器ケースを背負った人があまりに多くて驚いて思い出した。ナチュラルホルンで演奏した大森啓史氏はまさに妙技! 卓越した技巧という表現は月並みだが、まさにピッタリと当てはまる。ベルを客席側へ大きく振り向けて、その操作の様子が観客にもはっきりとわかるように演奏されたことも嬉しい。千葉響は団員をソリストとして協奏曲を演奏する伝統があるとのことで、団員側のサポートも暖かく、メンバー同士の絆や愛情も感じた。

 3曲目、ベルリオーズの幻想交響曲 作品14。言わずと知れた大曲である。千葉響はコンパクトな人数の楽団であるから、この曲のために動員された演奏家がたくさん参加していたのだろう。熱を帯び、ボルテージがどんどん高まっていく好演だった。本作の設定や背景を改めて紹介する必要はないだろうが、物語が進むにつれて狂乱の度合いが強まる主人公の錯乱、市川文化会館の壁を突き破らんばかりに鳴り響く「怒りの日」の戦慄的(!)な旋律(!!)。

 各楽器の演奏家が、それまでのバッハやモーツァルトの演奏時のような落ち着きをかなぐり捨てて、怒涛のように奏でる姿は圧巻だった。特に第2ヴァイオリンの首席奏者は客席の視界のまっさきに入るので、両脚をふんばり、前のめりに掻き鳴らす様子は、押し寄せてくる音楽の先頭に立つ旗手のようであった。指揮者山下一史氏のタクトも凄まじく、銃剣突撃する殺気立った伍長を彷彿とさせた。

終演後、帰りながら思ったこと

 市川文化会館は私にとって近所に立地しており、音響的にも好きなホールだ。前説に登場した山下氏によると、千葉響が市川文化会館で演奏するのは久方ぶりとの話であった。山下氏率いる千葉響は「おらがまちのオーケストラ」をコンセプトとして掲げているのであるから、ぜひ市川文化にも定期的に〝巡業〟していただきたいと思う。「おらがまちの」が漂泊する巡業状態というのは、解消すべき問題とは思うが。一方で、地元に根ざした市民主体のアマチュアオーケストラ(非プロ主体による非営利目的の市民楽団)こそが「おらがまちの」を冠するにふさわしいのではないか、という議論はここではしない。千葉県は広く、アマチュア演奏団体も非常に多い。一定以上の人口の自治体には1つ以上がある。こちらこそが出演者も観客も市民ということで、「おらがまち」感を感じるのだが。ただし、私自身もアマチュアだから言えるが、アマチュアの演奏は自分たちが楽しむための消費活動であり、地域文化活動としての価値は半面に過ぎない。

 私は千葉県民なので自虐的に言うが、千葉県にはクラシック音楽の文化はない。まず第一に、会場がない。かつて県内には京葉銀行プラザというクラシック音楽に適したホールが存在したが、経済的な醜聞にまみれながら沈没した。クラシック音楽演奏だけではない幅広い舞台芸術や講演といったイベントに対応できる多目的ホールばかりが千葉県にはある。例外的に、かろうじてクラシック音楽専用と言えるのは、新浦安駅のそばに立つ浦安音楽ホールと、検見川浜駅から徒歩10分弱の美浜文化ホールの音楽ホールだろうか。だがどちらも小規模会場であり、幻想交響曲を演奏するようなオーケストラは舞台に乗らない。

 第二に、人材はだいたい東京都と神奈川県に吸われてしまっている。ベッドタウン的位置付けであるから、千葉県の宿命としてそれは致し方ないともいえる。そのため、心ある音楽ファンは結局は東京へ行く。そのため「残る」のは、それ以外の人たち、となるのは単純な理屈だ。場所と人の相互作用で文化の定着・醸成は起こると私は考えている。よって場所がなければ人はおらず、人がいないから場所を作ることもない。どうしたらよいか。私は「形から入る」ことが解決だと考える。このスパイラルを解消するには、採算度外視でまずは会場を建て、あらゆる批判を無視し、収益モデルなど知ったことかと殿様的判断で投資するほかない。クラシック音楽に限らず文化芸術は、それを愛好する人の心を豊かにするものであって、興味を持たない相手を忖度することはできない。忖度すれば、共倒れである。

 千葉県は音楽の部活動が盛んだという意見もよく聞くが、それは「勝ち負け」を伴うスポーツとしての部活だ。コンクールで「勝つ(勝てる)」ならば評価される。それは文化活動をする部ではなく、スポーツ部でしかない。プロのための登竜門となるコンクールは、プロとして一流かどうかを認められるかどうかの一種の入試のようなものなので部活と同列には論じられない。部活のためのスポーツは青少年をダシにして周囲の大人が楽しんでいる消費型コンテンツだと、乱暴に結論付けられるかもしれない。

 音楽の部活動には、みっともなくショーアップしてカオス的混乱を引き起こす無様な発表会ではなく、プロがやるような洗練された構成の「演奏会」を実施いただきたいものだ。それは料理でたとえるなら、学生の実習であっても「コース料理をきちんと作る」ようなものだ。カオス的発表会は、寿司やスパゲッティやフカヒレスープやステーキやケーキやあんみつが出鱈目に出てくる変なレストランだと想像すればわかりやすいだろう。

 なぜそうなってしまうのか。会場がないから、プロの演奏会をまともに観たことがないのだ。レストランに通わなければ食卓マナーは学べない。冠婚葬祭は経験しなければ作法を知る機会も得られない。それらと同じである。会場がないことは、とにかく千葉県のクラシック音楽が栄えない元凶なのだ。いずれ滅びる文化として、精一杯消費しながら今を愉しんでおくのも、選択肢なのだろうか。

 千葉県にとって、最寄りのクラシック音楽専用ホールはどこだろうか。直線距離だけでいえば、錦糸町のすみだトリフォニーだろう。錦糸町まで気軽に行ける人ならば、その先にはサントリーホールや東京文化会館、紀尾井ホール、東京芸術劇場、東京オペラシティなどが立ち並ぶ。さらに足を伸ばせば、ミューザ川崎、みなとみらいホール、神奈川県立音楽堂がある。これらのようなホールは、千葉県内には一棟もない。とはいえ、それらのホールは片道1時間程度もあれば十分に行ける距離だ。不便がないから、わざわざ地元になくてもさほど気にならないこともまた事実だろう。

 京葉銀行文化プラザ閉館の顛末は、千葉県民(行政を含む)の文化レベルがわかる最たる例だ。船橋駅前西武百貨店の跡地に、ミューザ川崎のような洗練されたコンサートホールを持つ複合施設が建つだろうか。噂程度で聞くところによると、表に出ることのない地権者には、そうした意向はないらしい。市川市には現金がなく、船橋市には心の豊かさがない。他の市町村には、どちらもない。

〈おわり〉


◆千葉交響楽団 第113回定期演奏会「あふれる才気を楽しむ」
2023年5月27日(土)14:00開演
市川市文化会館
公式サイト

出演者
指 揮:山下 一史(千葉交響楽団音楽監督)
ナチュラルホルン:大森 啓史(千葉交響楽団ホルン奏者)
管弦楽:千葉交響楽団

曲目
J.C.バッハ:シンフォニア変ロ長調作品18-2 (歌劇「ルーチョ・シルラ」序曲)
モーツァルト:ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K.447
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14