アマチュアコンサートにおける「プレゼント・差入れ」考

2017.12.23

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 先日、コンサートのスタッフ手伝いをした際、プレンゼント・差入れ類の運搬と仕分けを久々に担当した。終わって数日経たので感想をつらつら書く。

紙袋入りの箱入り菓子

 この「紙袋」とはマチ付き、底ありで自立し、手提げ紐付きの「ややお高いお菓子」でよくある紙袋を指す。これは何の問題もない。並べやすく、運びやすい。大量に受け取る出演者であっても、袋のサイズが何パターンかあれば、大きめの紙袋に集約して持ち帰りやすいだろう。

自立しないビニール袋に入った菓子

 中身に重さや安定感があって止まる場合はさほど気にならない。自立せず、中身も不安定で軽い場合は、並べる際に滑って面倒である。紙袋よりも薄くなるので、並べる際に詰めて並べやすい点はメリットなので、プラスマイナスゼロといったところ。中身が小さめであればコンパクトサイズにたためるので受取人の持ち帰りやすさの点でもラクだろう。

生花

 一時預かりや運搬の際に押しつぶされないよう気を配る必要があるが、コンサートらしさの感じる差入れだと言える。受取人の持ち帰りやすさについては、人によるだろうが、私が受取人ならは「むき出しのブーケは困る。手提げ紙袋に入れてほしい」というだろう。仕分け運搬スタッフとしてもそうした「入れ物」に入っていると作業し易いので好ましい。受取人は箱菓子の入っていた紙袋に入れて持ち帰るのがラクだろう。

ビンもの

 指揮者など個室がある出演者の場合は楽屋に直接持ち込むから良いが、楽屋廊下などに並べて各自受け取ってもらうオケ団員向けの差入れにビンものが来ると、落下事故の防止に気を配ることになる。せいぜい数本程度なので、重さはそれほど気にならない。受取人の持ち帰りやすさについては人それぞれだろう。ビンものは酒が多く、背が高く安定感に欠ける。ジャム類などもあるだろうが、これらは箱入りが多くて背も低いので、菓子類と同じように扱える。

缶モノ

 重さと安定感があるので運搬仕分けで困ることは少ない。お中元お歳暮にありがちな大型の箱のようなものはさすがに苦労するが(持ち込む人も大変だろう)、せいぜい1~2が袋に入って届く程度なので問題ない。中身は酒が多いが、「おつまみの缶」も見かけたことがある。

菓子の小分け包装

 大袋などの菓子を小分けにして出演者に配るタイプの差入れである。一品一品は小さいので、持ち込む差入れ人は費用を抑えつつ、運び込む荷物もコンパクトにできるメリットがある。受取人もモノが小さいので持ち帰りやすくて好評だろう。問題は持ち込み時と運搬・仕分けである。まず、持ち込み時に「誰から誰へ」というラベルシールの作業に時間がかるが、これは持ち込み人本人の手間だから良しとする。スタッフ側は窓口を増やして対応することが望ましい。小分けなので当然、バラバラだ。一旦仕分けをしても、運搬時にまたゴチャッとしてしまう場合があり、再仕分けも面倒になる。持ち込み人は多くの知人へと思ってか、色々な人へ差入れて数が増えやすいため、その分のスタッフの労力がかさむ。できれば程々にして欲しい差入れだ。

その他

 差入れというのは差入れ人と受取人が満足できるものならば、どのようなものでも歓迎されるべきである。とはいえスタッフを介し、作業の手間が生ずる以上、贈答品は常識良識の範囲でやっていただきたい。当人たちにとってはウケ狙いの範囲であっても、あまり度が過ぎたものはどうかと思う。受取人の反応をみて面白がる類のシャレ系の差入れ物品は、終演後に当人を呼び出して手渡しするなどして自分たちの間で遊んでいただくほうがずっと愉快に過ごせるだろうし、スタッフはその光景を微笑ましく見守ってくれるでしょう。

 差入れの仕分け運搬は、「配送業」の仕事と同じだ。たしかに預かり、確実に届ける。受け取った方は嬉しく、贈った方も満足できる。本来的には終演後などに面会して直接手渡しするのが好ましいものではあるが、ガサガサとした荷物を客席に持ち込まれては迷惑だという発想・理由によって「スタッフによる預かりと、個別配送」が行われている。贈り物をするカルチャーは良いものだ。良いものではあるが、それほど良いものなのかどうかという点で少々疑問を感じる。

 アマチュアの音楽会では友人知人が聴きに来てくれる。実に楽しい。よろこばしい。インディーズバンドを発掘するような感じでレコード会社のプロデューサー登場して名刺を置いていったりアポを取りに来るようなこともない。あくまで内々と、公衆とはいっても友人知人のほかはたまたまその開催の情報に接した幸運なお客さんが集うという、楽しいイベントである。すばらしい文化だと思う。

 差入れのことに話を戻す。音楽会の本質は音楽演奏(披露)・音楽鑑賞である。プレゼント交換会ではない(あるいは「音そのもの」が出演者から鑑賞者への贈り物である)。差入れとは、いわば「返礼」である。私が思うに、音楽会で〝もっとも品のいい差入れ〟は、「感想の言葉」ではないだろうか。なにも批評や評論をせよというのではない。口頭で伝えるだけが言葉ではない。SNSやメッセージツールなど、インスタントに文字で伝えられる手段も普及している。「招いてくれてありがとう」「よかったよ。また聞きたいな」「今回はあの曲を演奏してくれてありがとう」などなど、当人たちの間で十分に満足を伝える言葉はいくらでもあると思うし、実際、そうした会話はすでに行われているのも事実だ。ならば物品を贈ることの意味・意義とはなんだろう? 「これ、ささやかなものだけど、どうぞ」と相手にモノを贈る行為自体に価値があるのではないだろうか。贈り物がどのようなものであれ。本質は返礼品よりも返礼そのものにある。

本当の最高の差し入れ

 いま改めて自分の考えがクリアになったのでまとめると、私は差入れの名目で物品をいただくよりも、SNSで感想を書いてくれる方がうれしい。ポジティブな感想の言葉のほうが、菓子よりもずっと美味しく味わえるし、酒よりもはるかに酔えるし、花よりもずっと芳しい思い出が残る。しかも永続的に! 演奏の返礼は、演奏への感想で返してもらえるほうがずっと感激する。事実これまでもそうだったし、きっとこれからも変わらないだろう。なにもスグその場でなくてもいい、後日会食に誘っていただいて、そこでたっぷり聴かせていただくのもうれしい。

 アマチュアの演奏会を自ら開催したり聞きに行ったりする人は、ひとつ「差入れとは何なのか?」を振り返ってみてはいかがでしょうか。

 最後に「例外的な差入れ」について述べておく。iTunesカード、Amazonギフト券、全国共通デパート券、ビール券、お米券、日本銀行券などは財布に入れて持ち帰れるので、お気持ちのこもったプレゼントとしてありがたく頂戴します。いや、お気持ちの大きさが額面に比例するとは言いません。これらはスタッフに預けず、ぜひ直接本人へ。