コンサート感想|東京混声合唱団 第256回定期演奏会

2021.12.11

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公式サイトより)

伝統、人気、古典、異端

 古代から近代までの天文学は、やや乱暴に総括すれば天体観測の歴史の集積であった。だが19世紀に物理学の手法が取り入れられた宇宙物理学が派生的に誕生し、20世紀以降は観測技術の発展にも支えられたうえで宇宙の神秘や謎の解明へと挑む時代に入っている。一方で夜空から、我々の週末の食卓へと視線を移してみよう。フランス料理では宮廷料理を再構築して「足し算の美学」の集大成ともいえる高級伝統料理(オートキュイジーヌ)の中から、「引き算の美学」ともいえる新しい料理(ヌーヴェルキュイジーヌ)が登場した。新しい料理は、新鮮な素材の最適な活用、過度な熟成や濃厚な味付けを意図的に控えた調理、脂肪分を抑えたソースの利用といったアプローチが特徴といえるが、これらに通底しているのは、ある種の思想的な側面である。その思想こそが、この料理文化の地位を確固たるものにしている。

 もちろん単純にそのまま当てはまるわけではないが、現代音楽として括られる分野の音楽については、19世紀的(20世紀初頭までをも含むが)な壮大さや華美な演出、つまり「ロマンティック」へのアンチテーゼを抜きには語れないであろうと私は思っている。それは新古典主義だとか、さまざまな考え方と類型を生んだけれども、結局は聞こえ良く言えば前衛や先鋭という名の「異端化」の一種だったのではないか。音楽の現代化は、天文学の現代化(宇宙物理学)、フランス料理の現代化(ヌーヴェルキュイジーヌ)とは部分的に共通するものの、俯瞰してみるとやや違った運命をたどっているように思う。それは「新しい普通(ニュースタンダード)」とは角度を意図的にずらすことによる挑戦的で挑発的な「異端化」であったろう。大衆観客の期待に応える大量消費的商品化された音楽は「人気の音楽(popular music)」とされて音楽文化の中で枝分かれし、それまでの主流だった消費される側の音楽には「伝統的な古典的音楽(classical music)」という新しい総称のラベルが貼られた。ここでいうClassicalは「古典派」とは異なる方の総称としての区分的呼称である。とはいえもちろん、「人気の音楽」においても、大衆や作り手自身の気持ちの移り変わりや飽きっぽさは早いものであるため、別の系統の「新しさの追求」が常に行われていたことは言うまでもない。

創作と突然変異

 さて、その点で現代性のある音楽とは、それまでの音楽のあり方、思想、カタチ、表現を部分的に否定したり、伝統に則る形で肯定したりして、まっすぐなようでいながら、見た目はいびつに成立していると私は考える。生物は突然変異と偶然による自然環境へ適応で種として存続し続けるが、人工的に作られたものである音楽、そして芸術全般についても、変異種の適者生存によって生きながらえるのだろう。つまり創作物とは突然変異であり、創作活動とは意図的に変異種を創造する行為なのではないか。だが、ここでいう突然変異は、何もかもが違うという極端すぎる変異種が突発的に現れることではなく、「何かが部分的に違うもの」が出現することをいう。私の考える〝現代性のある音楽〟とは、いわば「それまでとは何かがそれなりに大きく異なっている創作物」だ。極端な意見とは自覚しているが、この思考そのものも一種の突然変異であろう。

 今日の東京混声合唱団 第256回定期演奏会は、そのような点で「遺伝的継承」「民衆的受容」「異端的前衛」のバランスにとても優れる、多様性あるコンサートだったと思う。

プログラミングの妙

 プログラム前半の三善晃編曲『混成合唱のための「黒人霊歌」』(1976)、水野修孝作曲『混成合唱のオートノミー』(1972)はともに20世紀に発表された音楽である。後半の鈴木行一作曲『混成合唱組曲「虹の輪」』(2004*)、委嘱初演の栗田妙子作曲『歌詞うたのない歌』(2021)は今世紀の作品である。両者の違いは、山田和樹氏による口頭での説明で次のように表れていた。

 前半のプログラムは、東京混声合唱団が委嘱した現代的な作品の再演です。後半は、誰にでも歌える作品です。私が音楽監督に就任してから、改革が進んでいます――(細かい言い回しは異なるかと思うが、私は上のように記憶した)。だからこそ、今回のプログラムは前半・後半の楽曲の思想的な差が際立っていた。私はその差の中に、構造的な美、思想、価値観に関する、時代による差異を強く感じたのであった。

 プログラム順の変更は当日に発表された。1曲目は三善、2曲目が水野。休憩を挟んで、3曲目が鈴木、4曲目が栗田である。2曲目が1曲目に、4曲目が3曲目へという入れ替えだった。私もこの変更は結果的に各楽曲の魅力を引き立てる良い判断だったと思う。もちろん鑑賞後の感想であるが。コンサートのプログラミングは、コース料理の提供順の検討に似ている。提供順(演奏順)が変われば、またその味わい(印象)も変わってしまう。各楽曲がもつ効果を最大限に引き立てるには、プログラミングのセンスこそが最も重要だといえる。

内なる宇宙が呼びかけるもの

 本日、私が最もシビれた作品は水野作品(混成合唱のためのオートノミー)と栗田妙子(歌詞のない歌)の2つであった。黒人霊歌も虹の輪も、どちらももちろん素晴らしい作品であった。後者(黒人霊歌と虹の輪)の2作品は、正統派(スタンダード)における傑出した秀作であったと私は感じた。異端思考の強い私にとっては「確かに抜群に美味しいのだが、過去に知った感じのする味」という感触であった。一方で『オートノミー』と『歌詞のない歌』は、「過去(これまで)に味わったことがある(つなり「記憶にある」)どのような合唱作品とも異なる異種の味」を感じた。単純比較はできないが、前者と後者では、もう素材からして違う料理であるほど違う。そこで今回の感想では『オートノミー』と『歌詞のない歌』に絞って振り返る。

 『混声合唱のオートノミー』における、最大の視覚上の特徴(生演奏は、聴覚と視覚と触覚と、場合によっては嗅覚さえも動員して鑑賞するものであると私は考える)は「回転指揮」であろう。これは楽譜に指示されているものらしい。拍子を刻むための従来型の指揮ではなく、観客側から見ると時計の針のように右手を使って天頂から地へと回転していき、地から天頂へと左手を時計回りに回転させていく。山田氏は指を使って細かな指示を伝えていたようでもあるが、それが音楽のニュアンスなのかまでは私には判断がつかない。

 極めて弱い(小さい)男声による音楽の始まり。少しずつ増えていく声。最大となる場面での全員による強烈な、おそらく「A(ラ)」であろう音。天体観測を行なっているような音楽、それも、宇宙空間から地球を含めて観察しているような俯瞰的視点である。地球の陰から太陽が姿を現す。空間を満たすのは凍てついた熱と光。宇宙は人間の身体の外側にあると同時に、内なる宇宙(inner universe)として、たしかに脈打っている(I am calling, calling now...)と私は感じた。

 その脈とは、回転指揮が途切れた後に現れた9拍子であり、ときに7拍子にもなっている奇数拍の拍子である。単調なようで複雑なカウントの中に9つ、7つ、5つなどの数が見え隠れしているように感じる。あくまで私の感じた拍節感であるが。

 宇宙を漂う視点は、始めはマクロであるが、不意にミクロで蒸し暑い空間へと誘われる。そこはボルネオ島か、スマトラ島か、熱帯雨林の夜である。人と森は、星と宇宙が対照される縮図(あるいは拡大図か)となる。森羅万象の未来も過去も、現在のこの〝一瞬〟の宇宙に具現化した音の図像として、本作が成立しているように私は感じる。その音は、遠い遠い大きな産声となって、聴く者である私の耳の内側で発音しているような錯覚をも覚えた。

神秘は、秘密のままで持ち帰る

 そして曲は冒頭へと戻る。人の声(合唱)は宇宙的サイズのオルガンである。このオルガン――つまり人体のOrganization(オーガニゼーション:組織、機関)によって音楽は「振り出し」へと戻る。終わりなき振り出しへ。しかしその時間は、人間の本質の一つだ。音楽は奏でられた。だが人はまだ生きている。何度でも、いつまでも、人は(いや、主語を拡大するのはやめよう。ここは「私は」だ)この音(声)の海(宇宙)の中を漂っている。すばらしく、すさまじく、そしておごそかな作品。極端に誇張するまでもなく、生きてここに来られて良かったという感想を持った。

 演奏後に山田和樹氏はマイクを取った。回転指揮について紹介したのち、この音楽がどのような楽譜になっているのかは⋯⋯秘密です」と述べた。

 そう、神秘とは、誰にも明らかな表象(この場合、わかりやすいのはその音(聴覚)と指揮(視覚)である)から始まる。だが、神秘の裏側にあたるOrganization(構造)は秘密のままであってよい。かつてローマのシスティナ礼拝堂で秘曲とされ、書き取ることも礼拝堂の外で再現されることも禁じられた、アレグリの『ミゼレーレ(Miserere mei, Deus.)』の楽譜のように。あるいは遠心分離機を使って成分のレベルで分離され、溶け合わされたのちに液化窒素による高速凝固でジュレにされた料理のレシピのように。もしくは、もっと壮大(いわば単にマクロ)な規模で、宇宙における物理法則や、未解明な化学式のなかで生かされている星々や生物のように。設計図が秘匿されているように、楽譜が秘密とされて聴く者に明かされていないのと同じように。その音楽は秘密のままであってよいと私は思う。だからこそ、聴く者は感じるままに、受け取るままに持ち帰ることができる⋯⋯。

 栗田妙子氏の委嘱新作についての感想文は日を改めてまとめます。

text by ozakikazuyuki | * contact@ozakikazuyuki.com


東京混声合唱団 第256回定期演奏会

公式サイト

日時:2021年12月11日(土)15:00開演(14:15開場)
会場:東京文化会館小ホール

出演

指揮:山田和樹
ピアノ:栗田妙子
合唱:東京混声合唱団

曲目

・混声合唱のための「黒人霊歌集」 編曲:三善晃
・栗田妙子 新作委嘱作品
・混声合唱組曲「虹の輪」 作曲:鈴木行一
・混声合唱のオートノミー 作曲:水野修孝

チケット:(税込み・全席指定)一般:4500円、学生:1500円
LIVE配信(WEBサービス『カーテンコール』) 価格500円(税込)
CURTAIN CALL 東京混声合唱団ページ:https://curtaincall.media/toukon

主催:一般財団法人合唱音楽振興会
協賛:サントリーホールディングス株式会社
助成:文化庁芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)