2023.9.30
追記 2024.10.24
日本には奇妙なマナー(礼儀、作法、行儀、規範)が溢れている。エスカレーターの片側開けも実に奇妙な習慣だ。しかしこの習慣は、右へ倣えの日本人の特性に合ってしまっているのか、都市部を中心に根付いている(関西の一部地域ではまた異なる)。筆者はエスカレーターの企業に勤務する者ではなく、都市生活者の視点(いわばユーザー視点)でエスカレーターの問題に思い巡らせてみたい。
本記事では、エスカレーターの片側空けと歩行について整理したのち、エスカレーター内歩行を危険行為として抑止するための方法を提唱する。
まず「片側を空ける」という習慣について考える。
人は誰もが「パーソナルスペース」(対人距離感)を持っている。見ず知らずの人が肌の触れるほど接近してくれば、誰でも不快に感じ、恐怖し、拒否する。人が2人、並んで立てるエスカレーターに1人で乗る場合は、自分の乗った段(ステップ)に見知らぬ他人は乗ってほしくないし、逆に他人がすでに乗っている段に乗りたいともあまり思わない。 ゆえに「片側を空ける」というよりは、「片側(隣の空間)が空いてしまう」というのが実情だろう。
では2人が立てるステップはなんのために2人乗りできるほど広いのか。それは幼児を連れた親や、身体に何らかの不自由を抱えている人が協力者を同伴している場合、あるいは大型荷物(キャリーケース等)を持っている際など、2人乗りできると望ましいケースが世の中には多いからだと推測される。
3人以上が並んで立てるほど広いと段だと、空間の利用効率が悪い気がする。しかし1人乗りの幅では窮屈だ。すると自ずと2人用くらいの幅がちょうどよい幅となるのだろう。なお、このステップ幅はメーカーで標準化されている。
片側空けほど議論されないが、段の「前後空け」も同じくパーソナルスペースに由来するものだろう。エスカレーターの段(ステップ)の奥行きは約40cmほどとされる。パーソナルスペースについて研究したエドワード・T・ホール(米, 文化人類学者)は45cm以内を「密接距離」と呼び、「ごく親しい相手に許される距離」と定義している。建築学者の西出和彦も50cm以下は「排他域」と名前をつけ、「絶対的に他人を入れたくない範囲」としている。
パーソナルスペースに照らし合わせれば、エスカレーターの前後の段は、ごく親しい相手ならともかく、見ず知らずの他人に立たれると嫌な気分がしたり、警戒したりする距離だ。つまり、近すぎる。よって前後を空けるのは自然な心理だといえる。
エスカレーターメーカーがなぜパーソナルスペースより短い長さをステップの前後幅としているかはわからないが、機構上の制約や稼働の効率などを考えた末のものなのだろう。だが「ステップの前後を空ける」という人の習慣が発生しているのもまた事実だ。
以上のことから片側空けの問題は人の距離感に基づくものだと推測できた。すると「片側が空いているのだから」とそこを駆け上り、駆け下りする人が現れるのは自然な流れだろう。なにせ「空いている」のだから。
ではなぜ、(大阪地域を除いて)「左側に立つ」が定着しているのか。これは多くの先行研究も指摘している通り、日本の「左側走行」に由来し、日本人に染み付いている感覚なのだと想像される。
この感覚は諸外国でも同じだ。道路の左側走行・右側走行と、エスカレーターの左に立つ・右に立つは、各国でおおむね一致している。
珍しいのはイギリスの地下鉄だ。「Stand on the right(右側に立て)と明記(指示)され、1911年にロンドン地下鉄に初めてエスカレーターが導入されたときから始まっている。さらに左側は「急ぐ人ために空ける」という習慣化がある。なぜイギリス地下鉄が「右に立つ」を選択したのかに特別な理由はなく、「右か、左か」の択一においてたまたま右を選んだということのようだ。
ロンドン地下鉄の表記
一方、1970年の大阪万博で「エスカレーターは右に立つ」が定着したとされる関西では、このイギリス方式に則ったと記載されている記事が多い。
次に、空いている側の歩行について考える。
片側2車線以上ある高速道路は、走行車線と追越車線で構成される。エスカレーターに乗る際に「片側を空ける」および「急いでいる時は急いで登り降りしても暗黙の了解とされ、咎められることはない」。これはエスカレーター利用作法として定着している。
ロンドン地下鉄では「左側は急ぐ人のための空間」とされているし、遡れば戦争時の緊急通路として利用されたことも関係しているようだ。
問題は、この「急ぐ人」の存在だ。なぜ急ぐ必要があるのかは人それぞれであるが、エスカレーターに乗っている間は待ち時間であり、体感時間を長く感じるためストレスになる。よって時間や気持ちに余裕がない人は、一刻も早く先へ進みたくなるのは道理である。これは筆者も同じである。電車が到着寸前ならば、1秒でも早くプラットフォームへ到達しておきたい。
<参考ページ>
・徳川るり子の細腕感情記II|何ゆえ、英国のエスカレーターでは 「立つ人は右側」と 決められているんですの?
・GIGAZINE|ロンドン地下鉄がエスカレーターを歩行禁止にした理由とは?
・英国ニュースダイジェスト|シティを歩けば世界がみえる 第265回 ロンドンのエスカレーターは右立ち左歩行 ←追加 2024.5
問題の本質は、その行為の危険性にある。だが厳密には、急ぐ人がいること自体は問題ではない。追越車線の存在が問題なのでもなく、追越しを原因とする事故発生が問題の本質だ。事故が起きなければ、誰も何も気にはしない。事故さえなければいいのだ。
それでも事故は起こってしまう。段の踏み外しによる転倒や転落。これは単独事故であり自損事故だから、怪我した人には気の毒だが、他人への迷惑は大きくない。他人と衝突したり、転倒したことで他人を突き飛ばしてしまうと大事故につながる。将棋倒しは特に恐ろしい事故だ。
つまり、急ぐこと自体や、片側空けが問題ではなく、それが危険行為だから問題なのである。エスカレーター運用の安全性を損なう瑕疵、と言い換えてもいい。
エスカレーターの製造企業やエスカレーターを設置している施設の運営者は、安全への配慮を徹底している。しかし利用者自身がその安全運用を破壊しているのだとしたら、どうだろうか。身に覚えはないだろうか? 私にはある。反省している。
しかし「急いでいるときに追越車線が空いているなら、そちらへ突き進みたい」という人間心理もまた避けられないことだ。単に禁止されるだけでは不満が溜まる。
だから解決法は、エスカレーター内歩行は単に「ルール化」するだけでは不満解消にならない。ロンドン地下鉄では「歩行せずに詰めて乗る方が結果的に早く行き先に到達できる」という検証(実証実験)を行った。だが利用者は納得しなかった。「エスカレーター内を歩いて登り降りする自由(権利)を奪われた」という。
歩行すれば早く進めるのは当然だ。だからエスカレーター内歩行は止められない。でも歩行が原因の事故は起こりうるし、危険だ。(この危険性そのものは普通の階段でも同様に存在する)
エスカレーター内歩行をやめさせるには、エスカレーター内歩行をするメリットをなくしてしまうしかない。つまり、エスカレーターで歩くと、むしろ到達が遅れるという機能をエスカレーターに追加するのだ。エスカレーター内歩行者は、自発的に歩行をしなくなる。これこそがスマートな解決策ではないか。
バカげた考えだろうか? いやいや、事故を未然に防ぐための安全性向上のためのことだ。「歩くの禁止!」では効果がない。「歩くとかえって遅くなりますよ。安全のためです」と言えばいい。
ルール化だけでは効果が低い。ルール(決めごと)は精神に作用する機能しかもたないからだ。物理的に作用させる(効果を出す)には、デメリットを露骨に体験(具現化)するのが有効だ。
エスカレーター内歩行をデメリット化する機能として、筆者は「エスカレーター内の歩行者をセンサーが検知し、エスカレーターのスピードが徐々に落とされる(遅くなる)」という機能を提唱する。いわば「歩くとペナルティを科される」という機能だ。
エスカレーターのスピードが遅くなるのは、安全性のためだ。緊急停止させると反動(慣性の法則)によって危険なので、段階的にスピードを落とす必要がある。こうした自動スピード調整をソフトウェア的に組み込むことは可能だろうと想像する。
減速の際には適切なアナウンスが必要だし、この機能を実装する際も常時アナウンス音声を流し続けることが不可欠だ。つまりこのような音声である……。
「このエスカレーターは、安全性向上を目的として、エスカレーター内歩行を禁止しています。エスカレーター内を歩いて登り降りする人がいる場合、エスカレーターはスピードを落として運転します。エスカレーター内では立ち止まってください。このエスカレーターでは、歩くより、止まった方が早く登り降りできます」……。
歩行者が停止する、またはいなくなったら再度加速して規定のスピードへ戻す。
ではどのようにして歩行者を検知するのか。その方法には2つのアイデアがある。
第一の方法は、エスカレーターの上部天井にカメラを設置し、映像で検出する方法だ。カメラ内に搭載されたコンピューター(あるいはAI)が分析し、エスカレーター本体へ「減速」を指示する。指示には短距離無線の通信技術があれば十分だろう。配線の工事は設置費用の面で効率が悪い。もちろん効果測定のために、そのカメラがインターネットに接続されて運営会社へ方向者検知件数と停止効果などを報告し続けられればもっといい。IoT(さまざまなモノがインターネットにつながる)の時代だから可能だろう。
第二の方法は、エスカレーターの段(ステップ)の脇の壁にセンサーを入れ、段に乗った利用者が「停止しているか、歩行しているか」を判別できさえすればよい。これには試行錯誤が必要だろうが決して不可能ではないと考える。歩行者あり、と検知したら減速を開始する。
この機能によって、歩くより止まっている方が早いため、歩行するメリットがなくなる。安全性も向上する。この機能が広く知られるようになると、エスカレーター内の歩行者には白い目が向けられる。歩く人のせいで、そのエスカレーターに乗っている全員が遅れてしまうのだから。
筆者はマナーという無言の枠組みを振りかざして正義の執行といわんばかりの方々は好きではないが、傍若無人を放置するのもよしとはしない。安全のための施策は、マナーや常識といったことによる精神面から来る抑止ではなく、ペナルティを伴う機械的制御によって行われるべきだ。マナーは、どれほど説いても守るかどうかは相手しだい。だが機能(メカニズム)には拒否権はない。全員一律の平等公平な措置だ。
とはいえ、こうした「制御」が行き過ぎれば、それは全体主義という悪夢が社会を覆うことにつながりかねない。エスカレーター歩行の抑止の機能は、エスカレーター利用の快適化を目的とする範囲にとどめるべきだ。最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number )をもじって、最大多数の最大"快適"(the greatest "comfortableness" of the greatest number )とでも言おうか。
エスカレーターで立ち止まり、天井を見上げながら筆者はこの内容を考えた。記事タイトルに「たったひとつの」と付けたが、これはあくまで煽り文句に過ぎないことを最後に申し添える。
2024年10月24日、NHKが特集記事を組んでいたので紹介する。
「エスカレーターを歩かないで… マナー支える最新技術」
最新技術というからどのようなものかと期待して読んだ。安全性向上のためという点では筆者と同じ地点からスタートしている。筆者がかつて考えたように、AIを利用した歩行者検知で「条例違反です。エスカレーターは歩かないでください」というアナウンスを流すというものだ。
惜しい。条例では抑止力にならない。罰金を徴収するわけにもいかないだろう。筆者は「その時、そのエスカレーターに乗っている他の利用者にも迷惑が及ぶ」というペナルティの方が実効性があるだろうと考える。
〈おわり〉