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アニメ視聴感想|『トロピカル~ジュ!プリキュア』斜めうえ勝手考察

[最終更新日] 2021.11.28


© ABC-A・東映アニメーション / 公式サイトより

 『トロピカル~ジュ! プリキュア』を毎週楽しくリアルタイム視聴を継続していると、ぼんやりと提示された謎めいた部分が徐々に輪郭を持って深化していく様子を感じられて楽しい。ここでは、正解をカスってもいないかもしれない勝手な妄想的考察を視聴の感想を交えて展開したい。

第38話 決めろ! あすかの友情スマッシュ!

 あすかと百合子、ふたりの感情のもつれとすれ違いを高度に解決した見事な回だった。憧れ、挑発、売り言葉に買い言葉、ひとに言えない俗なトホホエピソードの暴露、コートの中での剥き出しの情念のぶつけ合い。ラリーをしていたのはボールじゃない。ふたりの本心、それぞれの本音。展開のすばらしさに居住いを正し、心で号泣しながら視聴した。燃え尽きバーンアウトから蘇ったあすか先輩はキュア不死鳥フェニックスだった。

 あすかと百合子は、目指す未来に対して、「その時に取った選択肢が違った」。まるで『タクティクスオウガ』におけるロウルートとカオスルートに分岐する場面の選択肢のように。そう、その分岐のときには未来を思い描いていた。でも、そのときは流されるままであり、覚悟と呼べるほどのものはまだなかった。しかし、時間は不可逆だ。覆水盆返らずである。

 それまでにあった逃げ先や退路を断つこと、それが前進する覚悟だ。他の選択肢を切り捨て、ひとつを選ぶ。私は自分の過去を振り返ってみて、果たしてそうした進路希望で覚悟ができていただろうかと思った。あれやこれやに手を出し、今一番大事なことをやろう! という気概で「今」「一番」だけを見つめられていただろうか。自分はそのときの「今一番大事なこと」が視界に入りつつも、それに目を背けて周辺の「本当は大して大事ではないこと」に手を出していたことが思い返される。

 「今、一番」を直視せず、「大事なこと」に突き進まなかったことで、それは後々に悔いとなり、未練となって、自分の背中に貼り続ける憑き物となってしまっていた。だがトロプリは、きっと「大人になっても、今からでもそれを取り戻せる」「かつて置いてけぼりにしてきてしまったことを、今でも、今だからこそ、それを今一番大事なことにしていい」と教えてくれている。

第37話「人魚の記憶! 海のリングを取り戻せ!」

 トロプリ37話、ついにあとまわしの魔女の目的が明らかにされた。と、いうよりも、グランオーシャンの女王は魔女の狙いを知っていた。知っていたにもかかわらず、プリキュア探索のために地上へ向かわせたローラに説明していなかった。意図的に伏せていたのである。

 まず、今回明かされた女王のフルネームはメルジーヌ・ミューゼス・ムネモシュネとのことだが、メルジーヌ(Melusine)は人魚姫伝説の原型のひとつである。下半身は蛇または魚、背には竜の翼(つまり蝙蝠のような飛膜の翼である)を持つとされる。いわば水に関わる性質を持つ精霊あるいは妖怪である。人間と結ばれる異種婚姻譚のひとつである点は、アンデルセンの『人魚姫』と共通する。

 ミューゼス(Muses)はギリシア神話の芸術を司る九柱の女神たちである。音楽(Music)や博物館(Museum)の語源であり、学問や文芸の神である。当然、それらは書かれたり、歌われたりするものであり、「記録」と密接な関係を持つ。9人のミューズ女神は「人々から苦しみを忘れさせるため」に誕生したと、古代ギリシアの詩人ヘシオドスは述べている。ここでの芸術は、娯楽とイコールである。一時的な非日常を体験することで、人々を日々の息苦しさから解放してくれる。最後のムネモシュネ(Mnemosyne)は記憶を司る女神であり、9人のミューズ女神の母である。シケリア(シチリア島)生まれの古代ギリシアの歴史家ディオドロスによると「命名(名付け)を始めた神」でもある。

 記録媒体という点では、シャボンピクチャーも当初はマーメイドアクアポットのオマケ機能として演出に使われているだけかと私はお気楽に見ていた。だが、この泡はトロプリの結末におけるキーアイテムとなるかもしれない。『人魚姫』において最後に人魚は泡となって蒸発したかと思われつつも、実は風(大気)の精霊(「空の娘」と呼ばれる)へと生まれ変わり、人魚であったころの悲哀が報われる。愛する王子と自分を悲恋に落とし込んだ姫(王子の妃)を恨むこともなく、新たな仲間たちと空の世界へ旅立っていく感動の結末である。トロプリにおいても、シャボンピクチャーが「記憶=思い出」を呼び覚ますアイテムとして演出される可能性もあり、カタルシスのある展開への期待が高まる。さらにいえば記憶の神ムネモシュネの名を冠する女王がそうした思い出をどう操作しようと企むのかも想像できて楽しい。ムネモシュネと綴りに共通点があるムネメー(古ギリシア語)は、現代英語「memory」の語源のひとつである。

 シャボンピクチャーだけでなく、マーメイドアクアポットには人格入れ替わりの機能がある。ただの恒例のギャグ回だと思っていたが、複数回にわたってネタとして使われたことは、伏線としての強調だったのではないか。これも物語の根幹に深く関わってくる可能性が考えられる。たとえば、女王がローラの記憶を消去しようとするが、トロプリメンバーの誰か(おそらくまなつか)がローラと入れ替わり、ローラの記憶と精神をまなつの肉体に退避させたうえで女王を欺く。掟を回避するにはこうするしかないであろう。ローラは、アクアポットによる入れ替わり機能を知らなかったと15話で語っている。もし女王も知らない機能であるならば、女王を出し抜くことが可能だ。

 さて、メルジーヌ女王は、あとまわしの魔女の目的が「愚者の棺の解放」であると人間の来訪者(まなつたち)に躊躇わずに語る。「愚者の棺がやる気パワーで満たされたとき、不老不死の力が得られる」。その力を手に入れ、魔女は「永遠のあとまわしの実現」を目的にしている。この魔女の野望は女王にも察知されている。しかし、「未だかつて愚者の棺の力を解放したものはいません」「何が起こるのかは、誰もしらない」とも女王は言う。このタネ明かしも唐突であるが「あとで記憶を消すので、構わず話して人間を利用する」作戦なのかもしれない。さらにいえば、女王にとってはローラさえ使い捨ての駒に過ぎない。これは第1話でローラが「人間の子なんて私が女王になるための捨て駒」と放言したローラと対比できる。

 前提として、グランオーシャンの王位と社会制度には不明点が多い。ローラが王位の継承権を持つ王族という位置付けではないようだ(人魚は貝から生まれるというローラの説明に信憑性は高いものの、それを裏付ける情報は37話時点ではないと思われる)。民主的な選挙制度で選ばれるならば、女王といいつも実際の立ち位置は「大統領」のようなものだろう。『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』でも、シャンティア新女王シャロンとの会話で、シャロンは父王から王位を継承する旨を語っていたが、ローラはグランオーシャンはそうではないと説明していたように思う。

 人間と関わった人魚は記憶を抹消されるというグランオーシャンの掟は極めて厳しい。当然、「人間と関わった」という事実を女王は何らかの方法で察知する必要があることから、グランオーシャンは国家として極めて高度な監視社会、あるいは管理国家であると考えられる。何らかの官僚機構がその実行を担っているのかは現状は詳らかでないが、その根幹あるいは独裁的支配者地位にあるのが女王であることは間違いない。

 そもそも掟の存在自体をローラは知らなかった。人間のいる場所へ行ってはいけない程度の指導しか受けていなかったのである。このことから、国や種族の掟でありながら、それが周知されておらず、人間と関係を持った人魚は秘密警察的な手段で捉えられ、記憶を消す装置へと繋がれるのであろう。人魚は二枚貝から誕生するとローラは説明したが、吸い出された記憶は主に巻き貝(二枚貝の場合もある)に保管され、秘密の洞窟の壁に封印される。記憶を完全に消去するのではなく、吸い出したのちに貝に保存(保管)しなければいけない理由は定かではない。人間と人魚の関わった一つひとつは記録媒体(貝)に移された、いわば秘密の物語群である。

 女王はローラの希望に応じ、気安く脚を与えた。だが、その気安さの裏には、ローラの行動も記憶も、魔女討伐が完了したのちに抹消するという半ば確定された未来がある。一方で、女王自身の人間と関わった記憶も、すべてが解決したら消去されると本人は語っている。ならば、「人間と関わった人魚の記憶は消される」という掟そのものはどのように運用されているのだろう。女王の発言には疑義が多く、すべて女王の掌の上で動かされているのかもしれない。いわんや視聴者においてをや。

 グランオーシャンの実態が明るく優雅で美しい竜宮城ではなく、女王が人魚たちの記憶や行動をも管理、統治するディストピアであることは衝撃的な事実であった。あとまわしの魔女は彼女の夢に登場する伝説のプリキュアを思い出せずに苦しんでいる。その記憶の断片、かつての戦った記憶は、記憶吸い出し装置によって重要な記憶が抜き取られたあとに残った残滓なのだろうか。あるいは、時間経過とともに、少しずつ記憶が戻るのだろうか。しかしローラとまなつの出会いの記憶抹消の事例を見るに、10年程度では記憶が戻ることはないようだ。魔女と先代(伝説の)プリキュアとの戦いがどのくらい時代を遡るものなのかは不明だが、数百年や千年単位で過去の話なのであろう。となると、魔女も、女王も、極めて長い寿命を持っているものと思われる。いや、ひょっとすると、女王はすでに愚者の棺を過去に解放していて不老不死を得ているのかもしれない。不死の女王が国民の記憶操作を繰り返しながら統治しているのがグランオーシャンの真相なのかもしれない。

 とはいえ、人魚個人の好奇心による人間との接触を否定し、さらに人間との接触者の記憶を操作する技術を持ち、個人の尊厳をも管理するグランオーシャン、おそるべし。映画トロプリの結末(シャンティアのことを忘れない、歌で語り継ぐとローラは豪語してシャロンを安心させた)さえも本編で否定してしまうのか。

 ――「私は情報の並列化の果てに、個を取り戻す為の一つの可能性を見つけたわ」
 ――「ちなみにその答えは?」
 ――「好奇心。多分ね」

 これは『攻殻機動隊 S.A.C』第26話の名台詞だ。人間と人魚、お互いの世界の閉塞を打破するのは、きっと本質的にそれぞれの好奇心と行動によるものしかないだろう。幼き日のローラも、好奇心に衝き動かされて波上の陽光の世界、人間のいる陸上の世界へと乗り出したのだから。

 次に、あとまわしの魔女の目的について考える。永遠のあとまわしとは、「大事なことを今はおろか、永久に行わないこと」と言い換えできるであろう。不老不死の獲得はその目的実行のための重要なステップのひとつのようだ。だが、いまだに不明点が多い。

 あとまわしの魔女にも何らかの長い本名があるのだろう。魔女の家来たちは「魔女さま」とだけ言い、名前は語らない。バトラーは事実を知っていると思われて怪しいが、魔女自身も自分の名前を失っているのではないか。まなつが「初対面の相手の名前を聞いて確認する」という行為は、魔女との対峙において重要な意味を持つだろう。名前と記憶を取り戻すために、魔女は不老不死を望み、その他すべてのことを永遠のあとまわしへと葬り去ろうとしていると考えられる。

 ひとつの推測が成り立つ。かつての魔女は、グランオーシャンの有力な人魚の一人であった。だが、人間と関わったうえで、メルジーヌ女王とその記憶や名前の扱いにおいて対立した。何らかの出来事によって彼女は憎悪に駆り立てられて地上への侵略、またはグランオーシャンへの失望による逃亡を企図したが、メルジーヌ女王の支援を受けた伝説のプリキュアの追跡を受け、戦い、敗れた。捕らえられて記憶が消去されたことで無力化されたが、魔女はただの人魚として元の生活に戻ることはなかった。命までは奪われなかったが、名前とやる気を奪われ、屋敷に幽閉されたと見てもよいだろう。

 となると、一体トロプリの物語における黒幕は何者なのだろうか。女王はバトラーとつながりがあり、バトラーに魔女の監視という役目を与えているのだろうか。となると、メルジーヌ女王が伝説の戦士プリキュアを探索するためにローラを派遣した理由が複雑化する。チョンギーレらも、不老不死になったら役目と仕事を放棄すると語っており、彼らはやりたくてやっている仕事というわけでもなかったことが推察できる。彼らもただの雇われの身であったのだ。バトラーひとりだけが何らかの邪悪な意志をもって魔女に与し、魔女を利用しているという可能性も否定できない。カニ・エビ・ナマコの前者ふたつは言わずと知れた甲殻類。ナマコも硬くなる防御手段を持っている点で共通だ。タツノオトシゴも鱗が変化した固い甲板を持つ。

 魔女が名前を奪われていると仮定するならば、バトラーもまた、英単語「執事(butler)」という一般名詞が名前となっており、真の名前であるかどうかが不明である。その点では魔女と共通している。まなつから「名前は?」と問われたとき、「私はバトラー(I am a butler,)、ただの執事です(An ordinary butler.)。名前などありません(I have no name.)」と答えるのだろうか。

 バトラーのモデル、タツノオトシゴといえば、英名を訳した「海馬」が記憶を司る脳領域そのものズバリだ。海馬はその形がタツノオトシゴに似ていることから命名されているが、あとまわしの魔女の記憶の重要なところをバトラーが何らかの手段で管理している「海馬」なのだとすると、女王=記憶の管理者、バトラー=魔女の記憶の一部、という関連性が考えられる。

 主題歌の歌詞2番にはこうある。〈陽が沈んでも “今”にZokkonn 欲張り→Step upのキー〉〈負けたくない わたし、私をTrust...NOW〉〈1年中ココロはサマー どんな”瞬間(いま)”もENJOY〉。これほどまでに「今、このとき、この場所、今やりたいこと」に焦点を当てている歌はそう多くはないだろう。日常回の積み重ねの日々の大切さを半年ちかく掛けて描きたうえで、物語終盤に「それらの記憶は消去される」という〝掟〟を突然に明かしてきた構成にはドギモを抜かれた。

 だが記憶を消されても、グンバイヒルガオでの〈レイの花冠(ティアラ) 飾り合えばスマイル〉は実現した。「グンバイヒルガオがもっとたくさん咲いている浜へ行こうよ。そこで花の冠、作ってあげる。絶対! 約束だよ」は時を経て実現した。「その時感じた、一番大事なことをやるんだ」という父の教えは、裏を返せば迷いや躊躇こそが後悔と未練の原因であり、後悔を回避する唯一の方法は「今やる」ことであるという。これは禅の教え「而今(にこん)」にも通じる。過去と未来が幾千万の瞬間で構成されていようとも、そのすべての「今この瞬間」がそれぞれ異なる一瞬なのである。〈せっかちだってプリティ〉〈シャイでいちゃSON〉はその心意気を示している。

 ――「いはくの今時こんじ人人にんにん而今にこんなり。われをして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時こんじなり、而今にこんなり」(道元禅師『正法眼蔵』「大悟」巻』)
 (意訳:みなさんが言う「今」とは、人々それぞれにとっての「今、その瞬間」のことです。私が過去と現在、それに未来を意識することが何千回、何万回あろうとも、私にとっての「今」は、たった一度の「今この瞬間」です。これは、私だけの「この一瞬」なのです。だからこそ、私たちは「今という瞬間にやるべきこと」に気持ちを向けることが大切だといえます)

 また、グンバイヒルガオの花言葉は「絆」「優しい愛情」である。まなつとローラの関係を示すいい暗示である。

 そういえば、「生き物で作られたゼッタイヤラネーダは海のリングがなければ倒せない」とバトラーは説明する。生命が海で生まれたことに関係しているのか。伝説のプリキュアの時空を超えた支援も、この先代さんが進化・変化の守護者であると仮定するならば繋がりがありそうである。

 今回まなつが花冠を渡す最後の場面で流れるイングリッシュホルンによるメロディとストリングスの美しさに涙した。(11月22日)

第33話「Viva! 10本立てDEトロピカれ!」

 前回のトロプリは、なぜギャグ10(11)本立てを投入したのだろう。映画告知連動の意図は分かるが、それにしても作り込まれている。作品テーマ「今、一番大事なことをやろう」に回帰して考えるべきか。この先の物語展開において不可能なことを、今一番大事なトロピカっていることとして選んだのだろう。(10月18日)

第30話「大選挙! ローラが生徒会長!?」

 トロプリ、2週連続でのピンクの象の飛び蹴りヴィクトリーを見ながら、先週から気になっていた「なぜピンクの象なのか?」を考察。Pink elephantは「泥酔者の体験する典型的幻覚」の意であり、ダンボの「Pink Elephants on Parade」が有名だ。しかし多くの日本人にとって、ピンクの象といえば佐藤製薬のアイドル象サトコちゃん⋯⋯。(9月26日)

第29話「甦る伝説! プリキュアおめかしアップ!」

 海とコスメがモチーフのトロプリに陸(大地)の要素が登場したことで、後回しの魔女の目的は「種(生物)の進化への介入なのでは?」と思い始めてきた今回。伝説のプリキュアは生命の自由な進化と環境適応を見守ってきた存在、カオスと創発の守護者で、魔女はオートポイエーシスと秩序の管理者⋯⋯とか。(9月19日)

◉追記 第29話時点で、あとまわしの魔女の勢力の戦略目標が明確ではない。グランオーシャンの人魚たちのやる気パワーを奪取して無抵抗化したり、地上の人類のやる気パワーの獲得を目指しているといった個々の「戦術目標」ははっきりしているものの、それらによる「愚者の棺」の解放がどのようなものなのか、いまだに明らかでない。

 第29話における最大のキーフレーズは〝伝説のプリキュア〟が発する「この世界を救って。そして、あとまわしの魔女になってしまった魔女も。」である。 サマーたちに託された「世界を救う」「あとまわしの魔女を救う」とはどのようなことなのか。これは、あとまわしの魔女の活動を挫いて戦略目標を無価値にしたうえで、あとまわしの魔女自身も救済せよとの啓示であろう。

 となると、伝説のプリキュアと、あとまわしの魔女の関係性を解き明かす必要がある。それには、あとまわしの魔女が、一体なにを「あとまわし」にしようとしているのかを推測しなければならない。あとまわしの魔女は、やる気パワーの収集をあとまわしにしている場面も見られ、緊急性が希薄である。だが、実際には強く固執している。

 そもそも、やる気パワーの実態が不明瞭である。人魚や人間からヤラネーダの眼力を使って吸い出すオーラ状のエネルギーとして、やる気パワーは描写されている。「やる気」という曖昧な表現がなされているが、それは人魚や人間の活力、さらにいえば生命力そのものであるようだ。やる気パワーが奪われた結果、その人間がどうなってしまうのかは不明だが、生命体としての生存さえも放棄し、最終的に死に至るのだろうか。

 結論へと一足飛びにいく。あとまわしの魔女の目的は、過去のプリキュア作品でたびたび描かれたいたような、下っ端戦闘員の大量動員による征服活動ではない。あとまわしの魔女があとまわしにしているもの、それは「死」であり、阻止するためにあとまわしさせたいものは「進化」である。さらにいえば、それらの総体としての「未来の到来」を遅らせることが、あとまわしの魔女の狙いであろう。

 これまで海と人の関わりを主体として描かれてきた本作において、第29話では、初めて明示的に「陸上」の要素が登場した。伝説のプリキュアはヤシの木をモチーフとしており、南洋の要素はありつつも、陸上の存在と明示されている。海から陸へ。これは生命の進化の過程における、陸上進出が暗示されている。約4億年前、植物、節足動物、そして両生類が順次的に陸上生活への適応を開始している。

 進化は、新しい環境への適応の連続である。あとまわしの魔女が、あとまわししようと拒否しているものは、この「変化」である。変化への拒否、先送り、しかし適応しないことによって追い詰められて滅亡することも阻止する。つまり死と滅びの先送りである。これは時間の否定であり、生命どころか、宇宙の法則そのものへの抵抗である。

 それほどまでにして、未来の到来を拒絶する理由は何か。バトラーは、あとまわしの魔女の屋敷の者たちにプリキュアの存在を口止めしている。プリキュアの存在をあとまわしの魔女に知られてはならないほど、バトラーが神経質になっている理由も、魔女が拒否する未来と、伝説のプリキュアがサマーに託した救済の実行に表裏一体の点があるからだと考えられる。

 話を冒頭へ戻す。伝説のプリキュアは、グランオーシャンの女王がローラに託した「伝説の戦士プリキュア」とは名前こそ同じであれども、別の次元の概念である。サマーたちトロプリのプリキュアは、現時点では「未来の到来を防ごうとする勢力(魔女たち)へ抵抗」するための自衛的戦闘員である。しかし伝説のプリキュアは「未来の到来」自体、あるいは生命を未来へと進める力そのものであり、その変化の守護者でもある。

 つまり、伝説のプリキュアは生命進化と時間という「法則」や「均衡」であり、あとまわしの魔女はその法則を静止させようとする「慣性」でる。そして、やる気パワーは生命体が(時間とは別に)変化を希求し、実行しようとする力の源泉であるから、それを奪い、活動力や行動力を減滅させて変化を止めるため、あとまわしの魔女にとって必要な行動なのである。

 逆説的に、「いま」を大切にするまなつにとって、「世界を永遠の〝いま〟に閉じ込めよう」と画策するあとまわしの魔女の思惑は、まなつを苦しめるかもしれない。その苦悩の先に、まなつは未来の選択、大人になることの意識、時間の実感という成長に到達するのではないだろうか。

第28話「文化祭! 力あわせて、あおぞらメイク!」

 トロピカル~ジュ!プリキュアは⋯⋯実は、みのりん先輩が書いた物語なのではないか⋯⋯つまり『マーメイド物語』を書き直した改訂第2稿がトロプリ。(劇中での)部活は事実だが変身と戦いは創作で、転校生ローラは実在だが人魚ローラは創作。一度は擱筆したみのりん先輩が再び書き始める再起の物語。(9月12日)

text by ozakikazuyuki | * contact@ozakikazuyuki.com


『トロピカル〜ジュ!プリキュア』
(Tropical-Rouge! Precure)
制作 朝日放送テレビ
ABCアニメーション
ADKエモーションズ
東映アニメーション

東映アニメーション 公式サイト
テレビ朝日 番組サイト