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notes for thinking―考えるための備忘録

後に何も残らない物語は作りたくない

(川村元気氏)https://toyokeizai.net/articles/-/506544?page=3, https://toyokeizai.net/articles/-/506596?page=2

例えば短くするにしても、ただ切るんじゃなくて切りながら直してくわけです。(中略)詰めながら練ることで「人間の想像力を創造する」という感じです。つまり例えばABCDという文章があったとするじゃないですか。ABCDと全部順番どおり連なっているのは、いちばんわかりやすい。でも切って詰めて、ABCEとしたときに、人間はその失ったDのことを想像する生き物なんです。それが物語を面白いという感覚につながっていると思っています。また「喪失」の話になるのですが、何かを失わせることで、受け手は想像する。(中略)人間はその失ったDがさぞかしいい画だったろうということを想像する生き物でもあるわけです。これはリスクでもあるのですが、僕はそういうことをやってきました。切りながら面白くするというのは、「失われたDに思いを馳せる人間の想像力を信じられるか」という勝負をしているとも言えます。それを信じられない小説や映画はABCDEFGって全部言うんです。だけどそれってなぜかあんまり面白くないんです。

読み終わった後に、何も残らない、何も覚えていないというのではいけないと思います。メディアとしても、エンターテインメントとしても、最後に何を残したかが大事だと僕は思います。

映画や小説は、それを見た人や読んだ人に、決定的に何かを残せると思っているんです。
昨日のLINEのやりとりはまったく覚えてないけど、わざわざ1900円払って観た、わざわざ本屋さんで買った本がその人の中に一生残るんじゃないかって信じて創っています。物語をその人の心の中に一生残したいと思うんです。どんなにニッチになってもそれを残したい。これは別に懐古主義でもなく、その人に対する物語の残りかたの話です。

僕はそんな寛容な人間じゃないです(笑)。不寛容で、今のこの世間の気分そのものな人間だと思っています。今の世間って本当に不寛容ですよね。自分が好きじゃないものや、自分の趣味じゃないものに対して、本当に冷たい。僕もきっとそうです。だけど、多分それでは駄目だって思っているから一生懸命戦っているんです。わからないものとか、自分と違うものに不寛容になると、戦争するしかなくなります。だから、一生懸命自分の不寛容さと戦うのが人間の理性なんだと思います。(中略)

2022.7.15
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