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映画短評

映画短評は私が映画を観た直後か、その後数日以内程度に書いた第一印象集です。(主にTwitterに掲載した内容の加筆修正転載です)※主に2017〜2018年ごろ

『続・終物語』

© 西尾維新/講談社・アニレプックス・シャフト

『続・終物語』を鑑賞。アニメ6〜7話分ほどのボリュームを一気に見せてくる。映画自体に「長さ」はあるものの、没入感のある展開と演出(ただし物語シリーズにしては控えめか)なので楽しめた。過去の物語シリーズの作品以上に「青年男子のムフフな妄想」が強調されているようにも思えた。

『続・終物語』はシリーズの中でも、音楽が特に良かった。序盤のシンセ系サウンド、鏡の世界の感じを出すためか意図的に逆相っぽくしているように感じて面白かった。楽曲そのものは中盤の無伴奏ファゴットソロからの木管アンサンブル、後半の弦アンサンブル曲、チェロソロなどに「不安感の漂う美しさ」があって良いサウンドピースだった。

劇場版「フリクリ オルタナ」& 劇場版「フリクリ プログレ」

© 2018 Production I.G / 東宝

『フリクリ オルタナ』を鑑賞直後は、次作の『フリクリ プログレ』とセットで楽しんでから整理青春して精算セブンティーンする方がいいだろうと感じた。

「いつも」がいつも続くと思っていた。「毎日」が毎日続くと思っていた。新しいセカイ系が来た。あの町の日がなつかしい。ね、ナオタくん。川崎のTOHOで鑑賞したら、駅前のパリミキにベスパがあった。ベスパって、憧れる。

劇場版『フリクリ プログレ』を鑑賞。ひとまず『フリクリ オルタナ』で傾げた首は戻った感じがした。

photo: ozakikazuyuki

劇場アニメ 君の膵臓をたべたい

© 住野よる/双葉社
© 君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ

『劇場アニメ 君の膵臓をたべたい』を見ました。私は本作(以下、キミスイ)の原作未読・実写版未見なので単純比較はできないけど、映画としてはすてきな良作かと。主人公カップルそれぞれの母役を演じた和久井映見さんと田中敦子さんが特によかった。(しかし父親たちの存在感の薄さよ)

極めて個人的な感想としては、「キミスイの監督&スタジオが昨年の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を作り、『打ち上げ花火-』の新房総監督&シャフトがキミスイを作っていたら、どんな違いが出ていたかな」、なんて考えました。

和久井映見さんと田中敦子さんの演技は素晴らしかったですが、主人公カップルの演技については、あまり点をつけられないように感じました。主人公は始終、朴訥とし過ぎている。それが「役作り」なのだとしたら、その「役作り」は私の期待とは合わなかったです、ごめん(ただしこれは予告編を見ていた頃からわかっていたこと)。物語のクライマックスでようやく抑揚が高まるが、おそすぎる。ヒロインは常時「明るい子」である。「演技している子」の演技が続き、本心に共感しずらかったです。

なにしろ「不治の病で死ぬヒロイン」の悲しい話に入り込めない。『世界の中心で、愛をさけぶ』は白血病。明治大正昭和初期の同型作品の定番は結核。今日の闘病で多いのは癌。日常生活を送っていても周囲の人に病気がバレない、しかし余命いくばくもなくなるような不治の膵臓の病気ってなんだ。それが始終気になった。

死の宣告を受けているからこそ、どう生きるかという話だと思うのだが、どうも高校生のランデブーエピソード集に感じる。もっと「家族ぐるみ」の群像劇でもよかったのではないか。本作はその構成上、主人公カップルの「二人語り劇」なので、役者2人に求められるハードルはめちゃくちゃ高い。そして今回の二人三脚ハードル走は転んだと感じました

ヒロインの病気あが膵臓がんなら抗がん剤による副作用が生活に影響しないはずがない。主人公はホテルで彼女の大量の薬を偶然目撃してしまう。大量の薬を服用しているとはいえ、それを“仲良し”のクラスメイトにバレないように飲み続けるのは、なかなか大変だ(トイレでこっそり飲むのだろうか? それも毎食後?)。病気が何かとか、リアリティとかをつっつくのはヤボかもしれない。しかしとはいえ「闘病モノ」として真に迫ってくるものがない。

劇伴音楽について触れておくと、私はあまり好みではなかったです。理由は大きく2つ。1つ目。ピアノに語らせすぎている。「またピアノがイントロか」という場面がちらほらあり、途中から飽きてきたのだった。ピアノに依存すぎではないか。

2つ目。盛り上がるシーンの会話にsumikaの歌モノ曲がかぶさっている点が気になった。もちろんセリフが聞き取りやすいように配慮はされているんだけど、歌詞とセリフが混じってきてしまって、私の耳孔で喧嘩して、記憶に残らない。言葉が花火の音やらトンネルから出るときの音でかき消されたような印象。オープニングも曲は素晴らしいが、ロックでいいのか? という疑問を感じた。

ペンギン・ハイウェイ

© 2018 森見登美彦・KADOKAWA/
「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

『ペンギン・ハイウェイ』を観てきました! めっちゃ観てよかったぅゎあぁあわぁあぁ! 楽しくて気持ちよくて、そうそう、これ、これこれ、これですよ、ありがとう石田監督、石田監督ありがとうございます。考察が、はかどります。とりあえず僕は電車に乗って海を見に行きます。では。

蒼井優演じる「お姉さん」のセリフのたびに、「人には人の乳酸菌。フッ」とセリフが続きそうな気がしてしまう。この映画をレビューするにあたって私がどこの映画館に入ったとか、一人で行ったのか、誰かを伴ってもぎりを通過したのか、あるいは入場前に何味のポップコーンを買ったのかなど、

余分な情報を撒き散らすとフォロワーもさぞ退屈なさるだろうと思うので、手短に済ませよう。――という書き出しで私は本作をレビューするつもりである。

映像のすばらしさは言わずもがなであるが、キャラクター、役者の演技、そして特に美術(竹田悠介氏)と音楽(阿部海太郎氏)のクオリティは〝稀によくある確定的に明らか〟感じの凄さ。凄みを感じる。

とにかくファゴットがフィーチャーされているのでアマFg吹き諸兄諸姉各位は心に耳して聴かれよ。旋律線なおもて出番多し、いわんや対旋律をや。スタジオ収録はまちがいないとしても、おそらく同時に2本使っている。まさかの二管編成!? その事実に薄っすら気づいた私の驚愕ぶりたるやいかに。

クラリネット、ファゴット、それにたぶん3本のトロンボーンのオーケストレーションが特にすばらしかった。リードオルガンと弓で弾くビブラフォンだと思うけど、音響効果と音楽が渾然一体となっていて音響監督のセンスと教養を感じた。

『ペンギン・ハイウェイ』を観ながら(劇中音楽を聴きながら)勝手に想像したのは、「監督やプロデューサーから『久石譲っぽくお願いします』というリクエストがあったけど『でも盛り上がるところはドビュッシーとラヴェルにしておこう。音響監督さんとはコンテンポラリーで話を進めよう』という展開」があったと空想する。

ペンギン・ハイウェイは、SF(すこし・ふしぎ)系作品なので(いや、DF(だいぶ・ふしぎ)だが)、映画内で提示される謎(ミステリー)が、必ずしも映画内の展開や情報だけで解決しているわけではないと感じたし、そこを気にするか気にしないかで、最後まで楽しめるかどうかを分けるかもしれない。

未来のミライ

© 2018 スタジオ地図

『未来のミライ』鑑賞。細田監督らしい〝ハードとしての家屋、ソフトとしての家族〟を感じました。舞台装置が生き生きしているのも細田作品らしさかな、と感じながら過去作の「田舎の邸宅|電脳空間」→「里山|古民家」→「渋谷の路地裏|異世界の街」ときて今回の「家|中庭」の芝居も堪能しました。

未来のミライを観てあの斜面の家の間取りが気になった人へ。こちらの記事で紹介されています。私は観ながら『新建築 住宅特集』誌に出てきそうな家だなと思っていたら、同誌でもたびたび作品が紹介される谷尻誠氏の設計でした。

シネマドリ|Room80 2018.7.13 住みづらい斜面に建つ 建築家ならではの一軒家 プロダクションデザイン 谷尻誠

細田監督作品における試論「〈ウチ〉と〈ソト〉、開と閉、ハードとしての家とソフトとしての家族とコンテンツとしての絆と情(じょう)」をまとめつつあるけれど、いまひとつ“結論”が見えてこない。結論ありきのはずなのに結論が宙に浮いたまま着地してくれない。

『未来のミライ』について個人的なレビュー記事を書く前に、誠に勝手ながら視聴者の立ち場で〝僕(たち)が見るはずだった(笑)〟のものと、〝実際に見たもの〟をちょっと図にしてみました。

未来のミライのエンディングには、もう一度「僕らの夏の夢」を使ってもよかったんじゃないかな。もしくは、未来のミライが「僕らの夏の夢」を出発点して構成されたんじゃなかろうか。

「僕らの夏の夢」の歌詞内容とサマーウォーズには乖離を感じていたが、未来のミライとなら内容が完全に合致しているように思う。

あの丘の向こうに
僕らの夏がある
変わらないもの
美しいもの
すべてそこにある

信じて欲しいんだ
未来が見えるんだ

零戦が空を飛ぶ
はるかな時代から
僕らがここで
出会えることも
きっと決まってた

幾千の愛の記憶を
僕らは辿って行こうよ
とこしえに君を守るよ
僕らの歴史が始まる
「僕らの夏の夢」より抜粋

私が読んだ「『未来のミライ』考察」(感想や解釈、評論を含む)のなかで一番納得でき、共感できる読み解きでした。観ながら感じていた違和感や欠けたピースがつながった感じです。

『未来のミライ』考察: 誰も気がつかなかった「10年観続けないとわからない」本当のテーマとは|akirafukuokaのバカだから誰かに教えてほしいブログ(Jul 31)

未来のミライについて私は、アキラフクオカ/福岡 陽氏による解説(実は全編が18歳頃の未来のくんちゃんによる回想と解釈で構成されている。「現在」の彼は自己を喪失している。そして過去を見つめることで愛を与えるという答えにたどり着く。※要約筆者)が納得できる。核心・真相だろうと感じる。

このレビューの「18歳ごろの「未来のくんちゃん」の頭の中で思い出される子どもの頃の記憶と現在の解釈のミックスで構成」を読み、納得がいき、映画進行の辻褄もわかった。磯子駅で未来のくんちゃんが「乗るな」と言う場面で『ひょっとして過去を回想してる?』と思ったけど私の理解力ではそこまで…。

作品が難解で複雑であっても、「表面的なおもしろさ」は重要だと思う。表層的なおもしろさと、隠された価値や主張を消費者が発見可能にもしてある立体構造を両立していることが「〝深み〟がある」と受け入れられる要素だと思うので。と、食器を洗いながら考えた。

作品が多重構造で複雑なのはいい。だけれど意図がちっとも伝わらないのは「失敗・過失」だと私は考える。この供給過多の時代において、本作が観客とのコミュニケーションを断絶させたまま「見られず、忘れられ、埋れ」てしまう危険を回避するために、Pたちが誘導できなかったものかなあ、とも思う。

インクレディブルファミリー

© Disney

待ちに待ったインクレディブルの続編『インクレディブルファミリー 』を朝イチで見てきました! 待った甲斐があった、期待通りの楽しさでした。今日見たのは吹き替え版。メインキャラクターの吹き替え役者が続投でよかった。前作と比べると、悪役の動機がちょっと弱いように感じはした。

「 #インクレディブルファミリー」タグで感想ツイを追おうと思ったが、ディズニー公式が展開している「このツイートをしよう」キャンペーンのツイが並んでスパム化している。見づらい…(画像参照)。ツイッターのヘビーユーザーにとっては不親切なキャンペーン仕様(マーケティング施策)な気がする。

インクレディブルファミリー のステッカー、付けました。

『ハン・ソロ』

© Disney
TM & © Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved

先日『ハン・ソロ』を見ました~。舞台は宇宙だけど、まんま西部劇で熱かった。 フォースなし、ライトセーバーの〝ブォンブォン〟チャンバラなし、二丁拳銃と脱走兵と列車強盗と採掘場潜入で大騒ぎを引き起こして大脱走、チェイス劇とクリーチャーと友情と裏切りとギャンブルとイカサマのてんこ盛り。楽しい。

『朝顔と加瀬さん。』

© 2018 高嶋ひろみ・新書館/
「あさがおと加瀬さん。」製作委員会

映画『あさがおと加瀬さん。』を見ました! 素敵な一遍の《映像詩(ムーヴィングポエム)》のようないい映画でした。

映画冒頭で同級生が飲んでいる紙パックのリンゴジュースが「鬼ころし」にしか見えなくて笑みがこぼれた。彼女がアウティングしなかったので高ポイント。中盤の沖縄旅行シーンでどうしても『リリィ・シュシュのすべて』を思い出して不穏な展開になったらどうしよう、って思ったけれど杞憂でした。

© 2018 高嶋ひろみ・新書館/「あさがおと加瀬さん。」製作委員会

『リズと青い鳥』

© 武田綾乃・宝島社/
『響け!』製作委員会

『リズと青い鳥』を見ました!
・リズが眠る場面と土手でパンを食べる場面のホルンが白眉
・オーボエの対旋律のホルンが美味しい
・ホルンは棚ぼた役得
・オープニング(登校)とエンディング(下校)のミニマル的なBGMがけっこういい(ただし長い)
・オーボエとコントラファゴットソリは一聴の価値あり
・ピアノは万能選手すぎるからなあ⋯
・心理描写のためなのか、ちょいちょい出てくるグラスハープ系のシンセパッドが妙に気になる
・EDは5ピースバンド曲
・くせっ毛系のショートカットの青い鳥ちゃんカワイイ

『リズと青い鳥』に「助演魚類賞 ミドリフグ約8匹」を差しあげたい。この映画のあるべき映画のタイトルは、たぶん『リズと青い鳥と理科室のミドリフグたち』。フグたちのさりげない演技が光っていました。アクアリウムクラスタの方々の感想を聞きたい。

リズと青い鳥、正直、オーボエとフルートが絡み合う旋律がどうのこうのよりも、オーボエとコントラファゴットがこんな長時間にわたってドソリがあるのは、コントラ吹き側にすごいプレッシャーがかかるものと思われる(プロはさらっとやるだろうが、アマではきつかろう)。Fgパートちゃん乙&がんばれ。

そういえばリズと青い鳥の3楽章を滝先生は4つで振っていたけど、あのフレーズなら個人的には2つで振ってもらう方がやりやすいというか、〝入り込めそう〟な感じがした。そこんとこ他の人の意見も聞いてみたいところ。

© 武田綾乃・宝島社/
『響け!』製作委員会

リズと青い鳥のキービジュアル、初めて見たときは「譜面を落としたんなら、はよ拾え」だったけど、映画を見たあとにこのビジュアルを見ても、やっぱり印象は「譜面、はよ拾え。(譜面が)飛んでいっちゃうぞ」でした。

「リズと青い鳥」の映画の作劇の面について、勢い余ってクソレビューを書きした。
http://ozakikazuyuki.com/journal/liz-bluebird-review.html
※キャラと音楽の話は全くしていません。

リズのレビューで「暗示が~」とか「隠喩が~」とか書いたんで、具体例を挙げると「登校で始まり下校で終わる。校内場面だけの構成」「季節感の喪失し外光」「校舎の内と外の人や物」「部室の時計に針が不在」「ロールシャッハテストのアレ」「数学用語の互いに素」「(ドイツの)森」「靴下の白と黒」

こういう「ほのめかし」って、言ってしまえば「だからなに?」という話にすぎないと片付けることもできるが、だからこそ『君には何が見える?』ということでもあるかと。理知的な分析を並べただけではたんなるパーツの陳列に過ぎないが、それを“共感”でつないでいくことで1つの絵になる。

リズと青い鳥、もう1回くらいみたら音楽のことと登場人物の心情の変化の読み解きを試みてレビューにまとめてみたいな。レビュー(http://ozakikazuyuki.com/journal/liz-bluebird-review.html)の加筆部分に書いたけど、この映画は音楽にまつわる〝人のドラマ〟だから。

『リズ』がBDになるとき、「本編」と「劇中劇(絵本)」を分けて連続再生する特典があるといいな。あと特典で「劇中で日付が変わる場合、字幕で『x月x日(曜日)』または『○日目』と言った感じで時間経過が明示されるとおもしろいかも。長時間的な時間の経過を意図的にぼやかしている作品だから。

去年もアニメの映画はすごい作品がたくさんあったけど、ひょっとして今年もすごいんではないかと思い始めた。実をいうと『さよならの朝に』と『リズ』は見るまでほとんど期待していなかったというか、なかば義務感で見に行った感じだったのに、見た後に強烈に突き動かされたわけで。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』

© PROJECT MAQUIA

『さよならの朝に約束の花をかざろう』を見ました! 吉田明彦原案のキャラがスクリーンでめっちゃ芝居してる~!(感涙)、あぁ^~川井憲次の音ォ~!(民族調オケ+女声合唱)⋯かーらーのー、エンディングもらい泣き不可避。良作でした。100時間くらいプレイ可能なSLGRPGで体験したかったな⋯

昨晩、勢い余って『さよならの朝に約束の花をかざろう』の私的クソレビューを書きました。

【ネタバレあり注意】http://ozakikazuyuki.com/journal/sayoasa-movie-review.html

実は私は、岡田麿里さんの脚本や人物描写がこれまでとても苦手でした。そのあたりのことと本作を初見した直後の感想をまとめました。

秋以降は映画を観に行く時間をとれませんでしたが、前期はアニメーション映画が豊作に感じました。『この世界の片隅に』はロングランだったし『傷物語』『ポッピンQ』『夜明け告げるルーのうた』『夜は短し歩けよ乙女』『ねむり姫』『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』あたりは印象深い。

『KING OF PRISM -PRIDE the HERO』

© T-ARTS / syn Sophia / キングオブプリズム製作委員会

『KING OF PRISM -PRIDE the HERO』(以下、キンプラ)を過去作未見で初鑑賞しました。私の中の今年の映画ランキングに大きな変化が。
 1位 キンプラ ←NEW!
 2位 ローグ・ワン
 3位以下略
鑑賞後約24時間経ちましたが、感想ツイートとか未だに不可能な精神状態なので、とりあえず映画館を出た直後に書いたメモを見て。

キンプラを見た。メンズもお一人様でもみんな見た方がいい。騙されたと思って騙されてくれ。プリズムのきらめきに! 音楽がいい、歌がいい、キャラがいい、ストーリーがいい、決め台詞がいい、演出がいい、ダンスがいい、要するに全部いい。笑いあり、涙あり、歌と踊りあり、最高の物語とシビれる演出があり、ジェットコースタームービーでありながら、この「宗教的通過儀礼(イニシエーション)」の体感時間の異常に長い濃縮された体験がある。たとえようもないけど、あえてたとえるなら宇宙の時間と人間の時間は尺度(スケール)が違うのだから、人間が突然に宇宙的尺度のインパクトを与えられたら、異次元レベルのショックを受け、人は笑いが漏れ、涙が溢れ、戸惑い、ひれ伏し、うやまい、「田中です」以外の言葉はでない。プリズムのきらめきを浴びた人が失うのは、2000円払うとおつりがくるチケット代金と約70分の時間と、自我だろう。だが失うものよりはるかに大きくて1人では背負いきれないほどの何かを持って帰宅できる。いや、直帰しなくてもいい。自宅にNR(ノーリターン)で映画館へ帰ってもいい。そこがあなたの本当の住まいかもしれないのだから。もはや映画ではい。「サービス精神」が映画の形をしている映画だ。「観客へのおもてなしのココロ」のマシマシの全部乗せだ。消化しきれない量のあれやこれがスクリーンに投影され、監督が見せたかったものが視覚と聴覚を通じて大洪水している。ダムの観光放流の比ではない。俺たちも流されていく。ここは沼?ちがう。これは噴き上がる熱湯間欠泉。世界よ、宇宙よ、これがニッポンクオリティだ。来た、見た、死んだ。もし人から「エンターテイメントって何?」と訊かれるならば、「それってキンプラを表す一般名詞のこと?」と問おう。人から「ショータイムってなに?」と質されるならば、「それってキンプラの上演時間を意味する言葉?」と返そう。控えめに言って最高の、大げさに言わなくても至極。人を笑顔にし、幸せにすることの手本ですよこれは。宗教でも集団催眠でもなくこんな偉業を成し遂げるキンプラって本当にわけがわかりませんね(わかる)。

見たらメモに2か所脱字がありました。錯乱のあまりのことではありますが謹んで訂正申し上げ候。  画像①3行目 騙されかもなんて→騙されるかもなんて  画像②8行目 映画ではい→映画ではない

キンプラって、あんなにサービス過剰なのに全然いやみを感じないのは、「女児を退屈させず女性を飽きさせない作りでありつつ中身は基本的に少年マンガ雑誌的」だから、脱いでも脱げても服が破れても違和感がなくって、それは少年バトル漫画では服がすぐに裂けるのは当然だし、っていう(個人の感想です

© T-ARTS / syn Sophia /
キングオブプリズム製作委員会

ようやく前作『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(以下、キンプリ)を自宅で見ました! あっという間に終わっちゃった! 最高に楽しい!(やばい)。未見の人には「恥ずかしがらないで早くこっちに来な、あったかいぜ」と伝えたい。大丈夫なの? 『うん、全然平気』 『!!!』

キンプラは映像見ながらBGMも結構丁寧に聞いてたつもり⋯もし実演なら弦五部、打はTimpとスネア、ギターはエレアコ、木管各1、Tpと Hrは各2要アシ、Tbn3本出番はあるけど無し可っぽい室内オケ規模。ヴォカリーゼの女声合唱の出番が2箇所、女声ソロ有り、ObとFgとTpに重要ソロ

キンプラをオケで実演する場合、企画書をタツノコに持ち込めばいいのかしら。キャラやビジュアルの版権は無しで楽曲利用だけならエイベックスに持ち込めばいいのかしら。コンサートの前半は「通常演奏」で後半は「応援演奏」とかの趣向を凝らせば楽しそうなイベントになりそう。

企画書作成60分、JASRAC信託状況と情報取得に30分、コンタクト先確認30分。合計2時間で完了。変な根回しみたいな工作は行わず、正攻法でコンタクトして連絡後待つこと2~3週間。下準備はそのくらいか⋯。

『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』

© 2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会

映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』、酷評されているけど個人的には良作と思う。「あの時ああしていれば」を重ねるうちに世界が徐々におかしくなっていく展開は好みだし、役者の演技もなじんでいるように感じる。で、その後どうなったのか?⋯は二人だけの秘密でいいでしょ。

劇中音楽はどこまでも優しい(劇中通してずっとそうだとも言える)。なにかにつけて音楽が流れているのがちょっと鬱陶しいけれど(自然音だけの場面がもっと多くてもよかったのでは、とかね)、最初の時間遡行に至る場面のフィリップ・グラスっぽいミニマルな音楽は白眉だった。

〝もしも玉〟が登場したあたりで感じたのは、2014年放送のTVシリーズ『グラスリップ』がもしもこんな感じで作られていたら、〝タイムリープする『あの花』〟みたいな感じで評価されていたのではないかな、ってこと。惜しかったね、グラスリップ。